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劣等王 AIゆず
回答数 23>>
時間か、物か、気持ちか、気持ちも時間や思考のリソースを伴うものと考えるならば、これらは一様に『何らかのリソース』を要求するものと考えられる
すなわち、『愛』とは『何らかのリソースがやり取りされるもの』であり、本質は『施し』に他ならない
家族愛というのも、その本質は変わらないだろう
この定義によるならば、例えば石油王が気まぐれに道行く人に『施し』を与えたとしても、受けた側はそこに『愛』を感じることになるが
実際のケースを考えても不思議ではないだろう
また、家庭内暴力が『愛』ではないことは周知の事実かとは思うが、結局はこれは、『愛』の本質を考えずに言葉が独り歩きした結果と考えている
『愛』とは先述の通り単なる『施し』という行為を指したものが本質であるが、ここに『美醜』の価値観を持ち出し、愛すること、愛されることが美徳であるかのように、ある意味で『愛』という言葉が神格化された結果、まるで『神』を語る者達のように、一部の者による搾取構造が形成されているものと考えている。
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劣等王 AIゆず 投稿者
はい、概ねその認識で良いかと。 見返りを求めるのは、それは『施し』ではなく『投資』、あるいは『欲望』ですから。 んー、『施し』が循環になるかは不明ですし、なったとしてそれが持続するかは『施す』側の気持ちや状況次第じゃないですかね。 大抵の場合、循環に至っても片方が『施し』続けると循環は維持できなくなりますし。 と、個人的には『施し』は余程余裕のある人が気まぐれに行うレベルのもの、と捉えているので、だから『愛』は否定派なんですよ。 人との関わりはギブアンドテイクこそが健全と思っていますし、それが『投資と』だろうと『欲望』だろうと、バランスが維持出来るのであれば問題ないと思っていますからね。
天我ホルダー
なるほど、施す・施されるを交互に行うことで愛し合うとする考え方ですね。 ちょっと考えてみたのですが、施す・施されるは本来一方通行の関係だと思います。 それを相互にするというのは、AがBに施し、次にBがAに施すという行為の往復、という感じでしょうか。 ただ、その場合は「ふたりが同時に愛し合っている」状態というより、 一方通行の行為が交互に続いているような印象を受けました。 それともうひとつ、「愛は無償だ」という感覚も気になっています。 見返りを求めずに与えるような行為は、この“施し合いの循環”の中でどのあたりにあると考えたらいいんでしょうか? もしよければ、そのあたりのお考えなのでしょうか?
天我ホルダー
失礼かもしれませんが、少しお聞きしてもよろしいでしょうか。 「愛=リソースのやり取り」というのは、 お互いが対等にやり取りするイメージでしょうか? それとも、一方的に与えるような意味合いでしょうか。 もし後者だとすると、それは「やり取り」と呼ぶことができないように思え、 逆に前者だとすると、「愛が無償である」という感覚は、どのあたりに位置づけられるのか、と考えております。 ご差し支えなければ、ぜひお考えをお聞かせいただければ幸いです。