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まつげ
回答数 7>>
『A↔︎Bで、大体それはA>B』
っていう価値観は間違ってるかもよ!
AだってBっぽいとこあるし。
だから、Bの方が偉いってことじゃなくてー
A≠Bだけど、A=B
っていう風に物事を見てみようよ!
★ロシアフォルマリズムの異化とは…
りんごはりんごじゃ、
普通で感動しないじゃん?
りんごは…赤・綺麗な形・すべすべ・甘い・シャキシャキ音がする・秋・木にたくさん実る・その木のある景色・ジャムにできる・アップルパイ・その思いを共有した思い出
という風に、色んな見方で表現することで、感動を作ろうぜ!
で合っていますか??笑
もしこれで合っているのならば、ロシアフォルマリズムの異化には、相反するものとどちらかへの優位性はないので、デリダの脱構築とはそもそもちょっと違う気がします。
コメント
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恋愛映画はこういうのでいい
それはともかく俺はいつになったらフランス製の映画を卒業できますか?


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相手が日本語を話せても、自分にとっては「空気」や「当たり前」だったものが、相手にとっては学んで理解した「外国の文化」でしかない。
夕焼けのチャイムの音とか、お祭りの屋台の匂いとか、そういう身体に染み込んだ記憶の層を共有できないことの寂しさ
ただ「育った場所が違う」という動かせない事実から来る距離なんだよね
言葉が通じても、その言葉の奥にある感覚や記憶の土台が違うから、どこか翻訳を挟んでいるような感じがしてしまう。
でもね、日本人をちゃんと好きになれたことがない中で海外でその人を好きになれたのは、「何もかも違う」前提があったからなんだよな
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まつげ 投稿者
あーでも美術なら、ロシアフォルマリズムの異化的表現であるマルセルデュシャンの泉(使用済トイレ便器にサインしただけの有名な観念的作品・現代アート)は、形而上学的価値観の、 『A:西洋古典絵画↔︎B:泉で、 A:西洋古典絵画>B:泉』 という考えを崩しているので、デリダの脱構築成功してるかも! ロシアフォルマリズムの異化による作品みんなが、Aへのアンチテーゼや相反するものとして存在しているわけではないので、相違はやはりあると思います〜
しの
まつげさん、かっこいい[照れる] じっくり時間かけて調べてみたんだけどこういうことかんがえる世界があったなんて嬉しいな。[ほっとする] ロシアフォルマリズムの異化的な表現はこの話の場合、便器にサインして展示まですることで普段認識していた便器とは全然違う認識を与えたってことだよね。泉も最初は物議を醸して展示すらさせてもらえなかったけどその事実が当時の人々の認識する芸術と泉の間にあった二項対立的な構造を浮き彫りにして最終的にそれを芸術として解釈することが泉を芸術に内包するデリダの脱構築になったって解釈でいいのかな、、、?[にこやか]