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曜
本作では、穢れに常世と隠り世、魂に輪廻、そして人の霊と物の怪がいて、そこには畏敬がありますね。ということは、「住民たちの認識」は神仏習合の系譜を引く団体の宗教的思想を基調としていると考えられます。
それに対して、仮に光(仮)が霊的存在で、いわゆる憑依状態にあるのだとしたら、それは肉体的には生きているということになります。
それとは逆に、仮に肉体は死んでいて、その死体に憑依し放題ならば、病院とかで新鮮な肉体を手に入れ放題。コロコロと生まれ変われることになります。(ただし、その肉体の依代としての才覚などによるのかもしれない。)
光(仮)には実体があって操作可能なケースなわけですし、動揺すると元の姿に戻るならば、光(仮)は単に「光(真)の姿に変身できる生物」なのだろうと私は思い込んでいました。
しかし、どうも違ったようです。今回の光(仮)の「死んでいる」との発言で、認識を改めることになりました。
俄然知らない宗教になりましたが、これは住民たちの認知」が"彼ら"を勘違いしている、というテイなのかもしれないと思うようになりました。
まず、少なくとも光(仮)は生物学的な捉え方で、生命を細胞単位で捉えて代謝で考えるという「生態系の中に成り立つもの」というような「光(仮)の認識」があるように思えました。(「生命は動的平衡である」という説に近い。)
それに対して、よしきだけには別の扱いをしているし、なのに魂は不変だとしている。
魂が不変で、よしきの魂を好むならば、よしきという物理的個体にこだわる理由にならなくなるはずだから、ここが明確に矛盾してることになります。
これは「光(真)の記憶」なのでしょうか?この記憶と「光(仮)の認識」に齟齬がある?
つまり、この部分がよしきを大事に思う気持ち(恋とか愛とかも含まれるのかもしれない)のように思われるし、光(仮)はこの矛盾に悩んでいるということになるのではないかと。
とりあえずですが、少なくとも光(仮)の認識は機械論的な死生観や古典的な死生観とは違うようですから、これによって「住民たちの認識」は光(仮)を正しく評価できてないことにはなります。
また、その分だけ光(仮)の方に武力的アドバンテージがあることになる気もしますね。
これは単に辻褄合わせの話になっていますが、これなら一応明文化されていないピースがカチッとはまると思います。
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