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曜
『YAIBA』に登場した天草四郎も、『神春市建設中』の世界という女性キャラも、全て「担がれた神輿」というものでしょう。「傀儡」とも言いますね。
現実だと、最近ならば環境活動家のグレタ・トゥーンベリも宗教ではないですが、「傀儡」でしょう。
(グレタさんが責任感と多くのプレッシャーに葛藤し、「もうやりたくない。もう十分」と思わず本音を吐露したところが撮影されている。)
自分の意思でやってるのか、そう教育されたからやってるのかの境界線は、極めて曖昧でしょう。
しかしながら、当人(四郎やグレタさんなど)がどう思うかはさておき、仕込んだ周りの大人達は「子供を神聖化させて、思想活動に利用している」わけで、当人には実質的な選択権などないに等しいわけです。
四郎は本音を話せる友達がいたのでしょうか?救世主性によって周囲に圧倒的なイニシアティブが取れても、心のままには生きられなかった可能性があるのではないでしょうか?
『YAIBA』において、島原・天草一揆の際、17歳で亡くなった天草四郎をキツネの妖術師にするのは、そういう言い伝えがあるからなのでしょう。しかし、そうした情報は、あくまで「四郎を擁立するに足る救世主性を担保するための大言壮語」と見るのが妥当だというのが、今の歴史学における解釈なのだそうです。
歴史学は、かつては「史料が全て」だったそうです。それが変化してきている。これは、世相を映している解釈だと思います。
同作が連載していた頃(1988年~1993年)は、こうした話はほとんど語られていなかったからこそ、ああいった神秘性やカリスマ性みたいな部分を誇張した表現になったのでしょうね。
歴史は観光業などの情報商材ともなる訳で、地域からの強い反発もあったのかもしれません。昔は信奉者も多く、また考え方が過激だったようですから。
ほぼ『YAIBA』の内容には触れていませんが、とにかく私にとっては、時代の変化をひしひしと感じるお話でした。
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