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マサヤス 龍之介
ビックスと私
ビックス・バイダーベック。本名リオン・ビックス。1903年明治36年3月10日 アメリカ中西部アイオワ州ダベンポートの材木商の家に生まれる。ビックスには兄のチャールズがいたが実家の家業を継ぐ使命があり、音楽には殆ど関心を示さなかった。父はドイツ系移民として堅実で商売熱心な人、母は元ピアニストだったが家業を支える良き妻でも母でもあり、幼い時からピアノに向かう次男のビックスをわざわざ外で遊ばせるような母であり、ビックスの音楽的関心を削ぐような子育てに意欲を燃やした。ビックスには独自の叛骨精神が宿っていて、親の言われるまま野球やスケート、テニスに打ち込んではいたが、彼には音楽の方が第一だった。
ビックスバイダーベックの伝記は世界各国で出版されている。彼はジャズ黎明期に登場し、当時ルイ・アームストロング一辺倒だったジャズトランペッターの影響を白人プレイヤーとして初めて否定し、ドビュッシーやラヴェルら印象派の音楽理論を初めてジャズで踏襲した。といってもそれらを口頭で説明した訳ではなく、全てレコードやアトラクションでのアドリブ演奏で手本を示したのであった。ビックスのジャズへの貢献や影響は同時代のそしてその後のジャズ演奏者らが語る口コミで拡がりを見せたが、ジャズ評論家らがビックスの影響力について著作で著したものは常に欧州の方が先行していた。日本では戦後すぐに河野隆次氏がラジオ番組でビックスの♫アットザジャズバンドボール をテーマ曲で使用した。戦前から野口久光や野川香文らがビックスの影響を細々としたためてはいたが、大きなうねりを見せることは無く、専ら戦後になり河野氏や油井正一のような音楽評論家らによってその功績が受け継がれていったのだった。よって我が国でもまとまった形でのビックスに関する著作は皆無に等しい。私がビックスの音楽に目覚めたのは1993年平成5年に我が国で公開されたイタリア映画"BIX"が『ジャズ・ミー・ブルース』と題されて日本ヘラルドが配給して全国公開された時だった。それまでは例えばルイやレッドニコルズやベニーグッドマンは知ってはいたが、ビックスのことには疎かった。全国公開前にテレビCFでも媒体が流され使用されていたのがビックス晩年の一曲♫アイルビー・ア・フレンド でありそのハイライト部分が使われた。ブラスセクションによる流麗なメロディラインが魅力的で、これは観なければ!と公開に合わせて映画館へ足を運んだものだった。以来神田神保町のTONYレコードでBIX関連の復刻LPを貪るように探しては買った。ビックスについて西島さんから教えを乞うことは殆どなく西島さんも私には映画に影響された若者という位の認識だったのだろう。その時は私もまだ27歳の青年であった。そんなとある日曜日、私は下北沢に居た。中央線沿線の中古レコ屋を粗方舐めた後、制覇したい店は行き尽した観があったので新たなる土壌を開拓しに下北沢へ乗り込んだのだが、とある古着屋から有線でレッドニコルズが流れてきたので、どうしたものか?と思うがまま丸で吸い込まれるようにその古着屋に入ったのだが、夥しい商品の古着には目もくれず店内を見渡すとガラスのショーケースに一冊の本が売られていてタイトルが『ジャズ1920年代』だった。目が点になったがそれまで本屋さんでも見掛け無かったこの本にすっかり魅せられて、店員さんに声を掛けてショーケースから取り出して貰いパラパラと本を繰ると、私がそれまで聴いてきたルイアームストロングやアールハインズ、ジャックTガーデン、フレッチャーヘンダースンといった馴染みの名前の他にビックスバイダーベックの名前もあった。ページ数にして20ページほどだったが、かなり仔細にビックスのことが記載されていて、…これは買いだな、と即購入したのだった。以来このリチャードハドロックが書いた本は私のバイブルになった。そんな運命的な本をまさか古着屋で見付けるとは…。ましてや滅多に足を運ばない下北沢という土地だったのも何か運命的なものを感じざるを得無かった。人との出会いもそうだが、自分の人生にとって大切な物との出会いも又然りで、どこでどのような出会いが待ち受けているかは全くもって一寸先は闇である。だが、その為に或程度の情熱を注ぐことに出会いは有効となり、素晴らしい出会いはその人にとって必ずやあると私は断言したい。だから行動しないより、先ずは行動する事が至高なのである。
その後ビックスに関しては次々と関連レコードやCDが大分目に付く様になる。それまで全く関心が無かったものが、ある事がキッカケで急に身辺でガチャつき出すのである。例えばVictorのジャズマスターピースシリーズではVictor時代のポールホワイトマン楽団に在団していたビックスの演奏とか、ビックスがそれ以前に在団していたジーンゴールドケット楽団の音源もVictorだった為この復刻シリーズに一括して収められていた。そのライナーノーツを手掛けていたのが柳澤安信氏でビックスについてかなり突っ込んだ記述が著されていた。特にビックスにトランペットの運指法を伝授したとされる1920年代のペッター エメット・ハーディーに関する記述は初めてのことだらけで、プレビックスマニアには新鮮な驚きだった。これは実は先に買っていたリチャードハドロックの本にも全く触れていなかったからだ。そしてそれから程なく今はもう無い神田神保町の音楽本専門店だった古賀書店で見付けた東京創元社刊の『ジャズの歴史』は油井正一の、タイトルからはおよそ掛け離れたユーモアのある表現で、エメットハーディー≒ビックスの関係性を裏付けていた。ここではエメットハーディーの若き日の恋人がボスウェルシスターズの長女のコニーボスウェルで、ビックスがよくエメットの元を訪れて、ペットについて教えを乞うところをコニーが目撃している事が書かれていた。そしてエメットのことを知っている同時代のトラッド系ミュージシャン達の証言から、ビックスの独特の運指がエメットのそれと遜色なく聞こえることを油井は突き止めたのだった。そしてビックスのまとまったクロノジカル全集というCDがフランスからリアルにリリースされて毎月1枚ずつ地道に購買して行き1年半掛けて全部を集めた。次いでイタリアからも同じようなコンプリートCDがリリースされて、こちらは10枚組のセットだが、さすがにこれを店頭販売スリは店はなく、私は輸入盤のメッカだった六本木WAVEで予約購入したが、3か月から半年は仕入に時間が掛かると言われたが私は待つことにした。結局、入荷に半年は掛からなかったがゆうに4か月は掛かったと記憶する。が、しかし待ち望んだ程の充実さはなく、内容的にはフランス版の方には及ば無かった。何せ、フランス版の方はライナーノーツにソロオーダーまで記載されており、ビックスが8小節、次のソロはトラムで6小節といったデータが記載されていた。そして最後にリリースされたのが、ようやく本国アメリカのサンビーム社から5枚に亘るビックス全集が遂に出た。これはそれまでの全集にはない、ビックスがトランペットのアンサンブルに埋もれている楽曲まで復刻されていることである。そして最後の5枚目ではビックスに影響をうけたと思しきトラッド系ミュージシャン達のオムニバスという内容なのがとても嬉しいセットであった。サンビーム社は1970年代にビックスやベニーグッドマンなどのビッグバンドリーダー達の若き日のサイドマン時代の演奏だけを集めたシリーズなど、マニアが喜ぶレコード復刻を手掛けていたレコード会社であり、そこがCD時代になりこうした更にバージョンアップした全集をリリースしたことは、ファンにとっても朗報であった。こうしてサンビーム社の凄い全集で一区切りがついたビックス復刻盤の旅は完結したのであった。次回からは上記で紹介したビックスの音楽を辿る事にする。幸いサブスクに相当数のビックス音源がアップされている様なので、そちらもお楽しみに。

At the Jazz Band Ball (2000 - Remaster)
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