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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-11

#読書の星 #音楽本


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷
1976年のオリコン年間チャートの第10位に食いこんで居たのが荒井由実の♬.*゚あの日に帰りたい
だった。TBS系のドラマ主題歌というタイアップも大きかったかも知れないが、ロックポップス部門では唯一のトップ10入りで累計61万枚以上を売上げた。正に快挙だった。この後もユーミンはアルバムを出せば10万枚は固いと言われ、同時期同ジャンルのアーティスト達は10万枚を目標に皆頑張ったのである。そういう決してメインストリームでは無かった時代から音楽を続けることの、如何に大変かはこの時代からロックポップスを提供し続けていた牧村達らには肌身に沁みていたに違いない。
ロフトセッションズは昨日述べた様な経緯と、時代は確実に自分達の方向に追い風が吹いていることを実感した牧村の最初の一手であった。
ロフトセッションズのレコード化に当たってはビクターが既に✋手を挙げていた。アルバム全体の構成を考えるとどうしてももう1人シンガーが足らない。そんな折、ビクターの川原伸司が一本のデモテープを渡してきた。「杉真理のバンドでコーラスをやっている子がいる」というのである。川原は当時ビクターでピンク・レディーの宣伝を担当していたが"出来る"人であり、後に大滝詠一と意気投合し、数々のレコードを制作、どれも不作だったがそれらの仕事が見事に昇華されたのが80年代に話題を振り撒いた♬.*゚イエローサブマリン音頭 に結実する。又、大滝の助言で川原は平井夏美名義で作曲もこなす様になる。その第一作が松田聖子に書き下ろした♬.*゚Romance だった。これは大瀧が聖子に書いた♬.*゚風立ちぬ のカップリングとして所収されて好評を博した。当時の歌番組でもB面楽曲にも関わらずよく唄われた。その後川原はソニーに移り井上陽水と共作した♬.*゚少年時代 が大ブレイク。異色の作曲家として注目された。川原の持参したテープに入っていたのはワンポイントマイクで録られたひどく聴きにくいものだったが、ワンコーラスだけ唄われたその声を聴いた牧村は確信した。
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