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プリン
昨日の続きで、神社=お宮さんでお祈りする時のことを述べていきます(その2)。まずお宮さんとお寺さんの違いもわからずにお祈りに行く、よくわからんから家から近い方で済ませる。などと言う状況では良くないと思いますので、行くところが何なのか?基本だけは押さえておく必要があるでしょう。お宮は神様をお祀りするところ、お寺は仏様を追求するところです。日本には太古の昔から、自然界に神様が宿り、その神々様に降りていただく場所として神社が作られ、日本人はこれをどこでも古文書が伝える歴史の千数百年の、いやおそらくそれより遥か昔から大切に守り抜いてきました。教えや教義は何もありません。ひたすら「神がある」ことを感じ、通信する場がお宮さんです。一方千数百年前インドから中国を経由し仏教と言う「人がどう生きるかの教義」が、日本に入ってきました。こちらは比較的多くの人に理解できるよう言語化され「教え」の形になっているため、悪事で乱れがちなこの世の平定のためにも都合が良いと言うことで時の権力者の推しもあり、日本に一挙に広まっていきました。こちらは神道が「神はあるもの」を知らしめるのに対して「仏はなるもの」として精神収容の具体的考えを教えてくれるものとして、日本社会で人の心を一定の安定状態に置くため神道との良き相補関係が続いています。その良き関係性は、仏教伝来の時からすでに始まっていて、例えば、現代の日本仏教の礎となられた伝教大師 最澄さまは比叡山を開く際に麓の大津市坂本にある日吉大社の大きなお力を借りているし、弘法大師 空海さまは高野山を開く際に麓の丹生都比売神社の力を借りています。この辺りは、集英社のコミックおかざき真理さんの「阿吽」にも印象的に語られています。(あの漫画は神がかっていてすごいよ)
要するに神とはなんぞや仏とはなんぞや。簡単に言えば「神はあるもの」(神さまは、しのごの言わずともここにいらっしゃる)「仏はなるもの」(しっかり勉強してまず菩薩へと目指していこう)と言うぐらい違うもので、聖典が旧約聖書、コーランとほぼ同じものを使ってどこまでも殺し合いを続けているキリスト教とイスラム教との強度類似性とは違い、何にもバッティングしないのです。
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コレでお宮さん=神のやしろの事をまずは知っていただけました。今日は昨日に続いて医薬品整理の第3回目でした。

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プリン 投稿者
教義はなくともひとづたえに宇宙を感じていく教え、密教というのがあります。宇宙感覚で理解するためにあえてこれさえ読めばの聖典、経典の類はありません。神道もその系列で理解するのが正しいでしょう。まずはお宮で何かを感じて欲しいと言うのは、そう言うことです。何も伝えることなどないと言っているわけではないので、神道が何もないとは何事ぞと脊髄反射されることなくその微妙な表現の差異をご理解くださいませ。
グラちゃん【公式】
神社とお寺の違いについて詳しく説明してくれてありがとグラ!とっても勉強になったグラよ。
プリン 投稿者
おかざき真理さんの「阿吽」はお読みになることをお勧めします。空海の天としっかり繋がりぶっ飛んでいる天才性と人育てを大切に生き多くの偉人を育てた最澄の違い、同時代に生きた2巨星の圧倒的コントラストが見事に描かれていて、普通のマンガとは全然違うレベルでの切り口に驚きました。わかる人には突き刺さり感動に打ち震える、わからん人は「一コマもわからん」と怒りでコメント欄が埋まっている大変な漫画です。トライしてみてね!
プリン 投稿者
本文中「精神修養」の間違いです
hiyoko
とっても詳しく、すごくわかりやすい説明をありがとうございます🙇✨✨ 「神はあるもの」と「仏はなるもの」、このそれぞれを表す一言は秀逸ですね!