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依存性
世の中くそやん
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いぶ
寂しかろうて自分。
ぽんすけ
1月に入院してから、ボケ防止と言って病室に通ってたけど、本当は寂しがりやのお母さんに、最期に寂しい思いをさせたくなかったから。
3月に入って1度退院した。一緒に近所のイオンに行った時に、「このバッグが欲しいとよ」っていわれたけど、「お母さん長財布じゃん。このバッグには入らないよ」と言って買わせなかった。最後に買ってあげればよかった。そのバッグに入るサイズのお財布と一緒に。
でも、お母さんとイオンに行ったのはその日が最後だった。
3月の末の朝、酷い痛みでのたうち回っている所を父が気づいて緊急搬送された。
お医者さんからは「今日亡くなってもおかしくなかった。4月上旬を見ておいてください。ご親族にも連絡を」と言われた。
結構冷静なもので、親戚や母の友人への連絡もその日に済ませ、それからはかわるがわる親戚が見舞いに来た。
結局、5月を迎えるのは奇跡という先生の言葉をいい意味で裏切り、6月の頭に亡くなった。腫瘍からの発熱が酷く、脳転移もかなりの速度で成長していて、そろそろだったのだろう。
タクシーを呼んでいる間に父親から息をしていないと連絡があったが、到着した頃もまだ少し温もりがあった。
葬儀などでバタついて、最後の香典返しを送り終わった頃に糸が切れたのか、精神科に入院した。
ずっと母のことを考えていた。ずっと母のことを思い出して泣いていた。生きてるうちに考えておくべきだったよね。思い出しておくべきだったよね。
もっとこまめに連絡をしていれば。帰省をしていれば。
こんなに早くお母さんに二度と会えなくなるなんて思ってもなかったの。今年も沢山ご飯食べに行くつもりだったの。
死化粧をさせてもらったけど、かなり入院前の化粧に寄せてあげられたと思う。
ずっとお母さんのことが大好きなんだろうな。
今年投稿を見ていただいた皆様ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします。

ゆー
あむ
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白米☺
バッタですらビビる息子だし触らないだろうなと思いつつも
触ってみ?って息子の背中をちょんって押したら
セミ触らないの、セミ怖いの
って言って無事に(?)あのジジジジ!を回避できました
ちなみにその後
別のママさんに踏まれてました
南無阿弥陀仏

·͜·みんᰔᩚ ͜·
大切な友人の命日。
亡くなるなんて、もう会えないなんて
思っていなかった。
強靭な体力と運で、また元気になって、
たくさん飲みに行って
いろんな所に出かけて
大好きな日々がずっとずっと続くと思っていた。
別れは突然で、心が裂けそうなった。
仕事に行っても、電車に乗っていても
まだ街のどこかにいるような気がして
自然と涙が溢れてきた
それでも日々は続いて、
いないことにやっと慣れてきて
繋いでくれた友人たちと
ときどき集まって思い出話し
一緒に過ごした時間、
たくさん与えてくれた人との絆、
言い尽くせないくらいの
「ありがとう」を今日も空に

また逢う日まで

蒼

くくら
連盟旗とNPB旗掲揚できぬと
(ちなみにNPB側もやむを得ない状況であることは把握済みとの事)

桃田

べにい

なんか
理由は言わないけど

にゃん

山小屋

しばふ
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