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愛善院
回答数 10>>
目的が成長であれば、請われる(壊れる)寸前まで観音に徹する。つまり、その瞬間そこから神経をハズすことを、私は私に禁じます。
コメント
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ぱんだ
なんというか社会人になってから人生つらすぎるので自分が偉いと思えるようなことを1日一つでもしようと思う。それが無理なのが私なんすけどね笑
おーさん
『比較』というものは、時に分析からよい結果を生み出すために使えます。しかし、自分自身の自己肯定感を、自ら貶めてしまうのはよろしくないのでは?と思うようになってからは、なるべく自分と他人を比較したりするのは避けるようになりました(まだ完璧じゃないので凹む時は凹む)

れいめい

ゆう

青森のあぶお
2025年の自分が捨て切った感じする。
他人は他人俺は俺って気づけた

たくみ
利用者さんも調子崩してる方が多い
いつも以上にひとつひとつ丁寧に

たか
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ゴロリ

Rederア
#ゴジュウジャー

モヒカ
車高下がらず硬めの動く振り回しやすい足にしてぇ
手持ちの組み合わせで。。。
すんげー散らかしそうでめんどくさ

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何処行ったの?

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ルイボ

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全身ピンクタイツはちょっと嫌ですw


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〆さば
人生観としてのお話は理解できます。 ただ、私が伺いたかったのは “意味が生じるかもしれない”という信念を持つ側が、そうならなかった場合の責任を「どこで・どう引き受けるのか」という点でした。 教育者として、もしくは愛善院さん自身として、この辺りどの様にお考えですか?
〆さば
人の壊れ方の種類をご自身で体感することで見識の幅を広げたい、という感じで合ってますか? 確かにメッチャイラつく時は潰したくなることありますよね。 それもある意味で人の壊れ方の観測ですね。
〆さば
神経を外さずに観音に徹するということは、内心メッチャイラつきながらも観音的に振る舞うことが自己の成長に繋がると思っている、ということですか?それによってご自身の何が如何成長すると考えますか?
〆さば
究極の現場主義というか、現場が成り立つ条件として、そうした厳しい状況が事実としてある。愛善院さんの人間観みたいなものはそうした現場から出来上がってきているんですね。 生命力を信頼しているからこそ全力で行く、という姿勢ですね。 ちょっと極端ですが、希死念慮を抱える生徒、という言葉が出たので質問ですが、愛善院さんが取り得る最善としてぶつかった結果、命が消えてしまった時、その責任は誰が負うでしょうか?
〆さば
厳しくも生きさせる方針、なるほどと思いました。自分が憎まれてでも、それが生の燃料になるなら本望という覚悟は流石です。 また、教育と生命倫理を分けていらっしゃるのも現場のリアルだなぁと思いました。「責任は教育には関係ない」という表現を敢えて使う勇気に感服です。ありがとうございました。