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甲斐性無しの甲斐の人

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玄蕃尾城

賤ヶ岳の戦いで柴田勝家の本陣となった城。
賤ヶ岳の戦いに伴って陣城として築かれたとされているが、実際にはもっと前に築かれていたとも。
当時の陣城としては最高傑作といわれる。
越前と近江の国境として重要な位置に築かれており、すぐ近くには織田軍による朝倉軍への追撃戦、刀根坂の戦いの舞台となった刀根坂がある。

実際観に行ってみると、その堀の深さや土塁の高さ、そして複雑に絡み合う曲輪に驚いた。
そして同時に賤ヶ岳の戦い以前に築かれていたという説の説得力を感じた。
正直、これほどの城を陣城としてその場で築くのは無理ではないかと感じるほどの出来だった。
秀吉の石垣山城などは、ほぼ天下統一間近という動員力や経済力があったからこそ築けたもので、当時の勝家に対陣を続けながらこの城をイチから築く余力などなかったはず。
そんなことをふと考えしまった。
また私は滋賀県側から登ったが、どうやらこちらはマイナーなルートのようで、福井県側からの登山道と合流するまでは全く人に出会わなかった。
ただ麓では、土建屋さんのような人に
「あのへん熊ぎょうさんいるから気をつけやー!」
と、声をかけられたが運良く熊にも遭遇しなかった。
念の為に熊スプレーも持って行ったが、使わずに済んで良かった。

#一日一城
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コメント

しえる

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1 GRAVITY

福井側からだと勝家敗走ルートになるんですかね🤔当時の事から考えると勝家がこの砦を築くのは無理かもと思いますね 。孤立してただろうし🤔

返信
甲斐性無しの甲斐の人
甲斐性無しの甲斐の人
勝家の敗走ルートであり、朝倉義景の敗走ルートでもありますね 朝倉家滅亡が決定的になった刀根坂の戦いの舞台になった道だと思います 勝家も築城の名手で北ノ庄城とか築いているとはいえ、賤ヶ岳の戦いが始まってからだと玄蕃尾城の規模の築城は時間的にも労力的にも厳しそうですよね
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