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虚無
その中に、芸術は否定のない絶対的肯定 という話がかいてあります。
「何かである」と書くことはできても、書かないことはできない。書かなければ無であって作品の中には存在しない という内容。
私はこれが気に入ったのですが、ただ、
「書かないことによって書かれているもの」は、存在するのでしょうか?しないのでしょうか?
という疑問がでてきました。
例えば水彩の白、
例えば例えや暗喩で表されているもの。
他にも色々。
想起し比較するのは意味や認識の問題であって
存在の問題ではないとされているのですが、
「無いが在る」を描くのは芸術としてあるのか、ないのか。芸術なのか否か。
と、考えていました。
コメント
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ゼロロ

スーパ

くら

アリエ
私の良いところを ちゃんと見て分析して言ってくれるから
私ってこんなに良かったんだ って思える
大人になって 褒めて貰うことってないから
ありがたいね

しおお

うさね

みな

スーパ

みやび
ぼさぼよも一緒に生きて帰るんだぞ!!?!?

せんが
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シン
「書かないことによって書かれているもの」と同じかはわかりませんが、権力分析においてはある研究や文芸作品において具体的に表現されているものだけでなく、意識的にせよ無意識的にせよ、表現から除外されているものに目を向けることによって、社会的不平等を可視化するというアプローチがありますね。 例えば、映像作品中から特定の人種や民族が排除されていたり、研究対象が恣意的に選定され、特定の階層が排除されていたり…。
祈りますけど何か?
言葉は、例えばりんごを決めると同時にりんごでないものを決める。 もしかしたら、芸術もあるものを描くとあるもの以外を描くことになるかもしれない。
黒ウサギ
美学における 認識論的課題と存在論的課題。 ・・・があるという判断が.・・・であるという判断の前にあるか否か。 書く、書かないということは良くわからない。
うんこなまず
たぶん、対象とする芸術形式/芸術作品はなにかを明確にしてからの方が、虚無さんの疑問に取り組みやすいのかと思います。 とりあえず、「分析美学入門」という本を読むと、虚無さんの疑問をより詳らかにできるんじゃないかと思いました。
虚無 投稿者
つまりは 書かないという手法によって描かれているものは作品の中身としてそこに存在しており、 書かれていないものを作品に見いだしても、その作品の制作意図の中には存在していない幽霊である という認識でええのかね? 哲学語はまだ理解と興味が追い付いていないから、また気が向いたら調べたりAI君に聞いてみたりしよう