投稿

ぬえ
思考とはなにか?
ふと思い出した疑問。
『中動態の世界』國分功一郎
で
「言語が思考を規定するのではない。言語は思考の可能性を規定する。つまり、人が考えうることは言語に影響されるということだ。これをやや哲学っぽく定式化するならば、言語は思考の可能性の条件であると言えよう。」
という文章があって、こんな疑問がでてきた訳だが……
コメント
話題の投稿をみつける

スコッ
これから頼むよAA

に4

クロス
今日も忙しかった(*'-'*)ノ"

みずゆ

並行度

じろ蝉

テサブ

青嵐💗

深窓/sin

ブロッ
もっとみる 
関連検索ワード


ぬえ 投稿者
先に現実があり、言語でそれを分節している。 言語がなければ現実を見ることはできない。 この2つの立場がある。
ぷりんたべて
ジャック・ラカンの現実界・象徴界・想像界の概念に通じるものですね Xで見た話題なのですが日本語に有るとある単語と概念が存在しない言語の国で暮らすとそれがあるはずなのに全く意識しなかったという話がありましたのでそういうことなのかなと思いました
ぬえ 投稿者
この議題はややこしいよな…… 直観は思考に入るか、とか……
ぬえ 投稿者
この『中動態の世界』の文章で言いたいことは、 先に見ることのできる現実があって、人はそれを見る能力がある。 必要性の問題だというのは分かる。 (ラットとマウスの区別、虹の色が文化によって違う、とか。) (虹の話って色の区別が日本ほど厳密じゃないから7色に見えないっていう解釈でいいなら……)
SK
円柱を知らない人がいたとしてその人に円であり四角の図形と聞いたらどうなるのだろう