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みおこんぼ
#怖い話
「不審者」①
私が中学2年生の頃のお話です。
5人兄弟だった私は、かなりぼんやり生きていた子どもでした。
自分が相貌失認症ということにもまだ気付かず、なんとなく(私はみんなより物覚えが悪いな……。)と思っていました。
引っ越しが多かったこともあり、場所が変わる度にその土地の新しい人について覚えることに一苦労していたあの頃。
(きっと自分の脳は、顔を覚えるところがもういっぱいで、新しい顔は容量オーバーで入らないんだな。)と考えていたことを覚えています。
とはいえ、日常生活は問題なく送れていましたし、人の顔を認識できないのは些細なことでした。
「ねえ、みおちゃんってお兄ちゃんいる?」
それが、些細なことでは無くなった時期があります。それは中学2年生の秋のことです。
突然そんな風に、あんまり親しくないクラスメイトや他クラスの人に聞かれることが多くなりました。
「いるよ。」と答えると、「みおちゃんのお兄ちゃん、朝早く自転車に乗ってない?」とか、「夜遅くに☓☓公園で自転車乗ってた?」とか、兄のことをやたらと聞かれるので、地味にストレスでした。
「朝も夜も家にいるから、人違いだと思うよ。」と返していましたが……今思うとこれ、明らかにおかしいですよね。
どうして他クラスの見知らぬ人まで、その自転車に乗る人物を私の兄だと思ったのか……そこを突っ込むこともせず疑問にも感じていなかった私は、やはり相当ぼんやり生きていたのだと思います。ただただ、突然見知らぬ人から話しかけられるストレスと戦うだけだったのです。
さて、話は変わりますが当時私は吹奏楽部に所属していました。
小学生の頃、たまたまマーチングバンドに強い学校に1年間いたことがあったので、そこでアルトホルンを吹いた経験が活かされ、次の学校ではホルン吹きになり重宝されていました。
吹奏楽の強豪校だったので、朝練から始まり土日は1日練習で潰れ……。令和の時代には考えられない夜練もよくありました。大変でしたがこの時期があったおかげで、今もなんとなくホルンを続けています。
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素体が今の環境について来れない

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父「送って行こうか?」
弟「お前帰って来れんくなるぞ」
いや、その通りやねんな、多分帰って来れん

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