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あさの衣
今日は3.11
私は福島県の浜通り地区出身で、当時は大学生で、青森に住んでました。
数時間後に、津波があったこと、原発事故が起きていることを知りました。不安でいっぱいでした。
朝方に家族と連絡がとれ、姉2人と姉の旦那さん、生まれたばかりの姪っ子が青森へ避難してくることに。
3/12の深夜に青森の私のアパートへ到着し、福島の様子を色々聞きました。
家族全員が無事であること、家は一部損壊で済んだこと、津波で全て流されたこと、原発事故でどんなことになっているかと言うこと。
ニュースでは知り得ない情報もありました。
一ヶ月後、姉たちは会津地方へ避難することが決まり、福島へ戻りました。
私もその数日後に、福島へ帰省。
仙台まで高速バスで戻り、そこから電車で地元の最寄り駅まで行くはずでしたが、途中から津波で線路が流されてしまい、電車が走っていませんでした。代行のバスに乗り地元まで戻りました。
電車やバスから見える景色は変わり果て、家も、木々も、畑も何もかも平らになっていました。奥にきれいな海が見えていました。
地元でバスを降り、海の方を眺めて涙が出ました。本来その位置から見えないはずの海が見えていたからです。
家へ帰ると、瓦が落ちていることと屋根にブルーシートが敷いてあること以外は特に変わりのない実家に安堵しました。
後日、母と一緒に車で行けるところまで海の近くへ行きました。
本当に何もかもなくなっていました。
友達の家、海辺のレストラン、漁港の建物、学生時代に使っていた最寄り駅。
「ここからどうなっていくのか…」
当時、誰もが不安だったことでしょう。
それでも12年たった今、地元は復興し、以前はなかった公園や遊び場などができました。
幸いにも放射能被害もほとんどなく、家族全員元気に過ごしています。
#あの日を忘れない
#ひとりごとのようなもの
#東日本大震災
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よかったですね。 でも、奪われてしまったものは大き過ぎますね。言葉には出来ない感情が多すぎます。
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私も福島県出身です。親戚も浜通りに住んでる人もいます。あの時は、本当に大変でした。あさの衣さんの家族全員無事で良かったですね。