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楓花(ふうか)
分かった事。
私は相手に与える物があまりにも大きすぎる。
それに対して相手が同じレベルのものを与えてくれない時に、「落胆」はしなくとも、
「何も感じられない」のだ。
例えばクリスマス、プレゼント交換。
私は相手に黄金で出来た機械仕掛けの自動人形を与えたとする。
そしてそれに対して相手は、スーパーの隣にある花屋で買った花束をくれたとする。
私はその時ガッカリするわけではない。
不満なんてものももちろん抱かない。
単純にありがとう、嬉しいよと言う。
でも、言ってるだけだ。
心からの感謝なんて感情はない。
そして後になってから、不満が出てくる。
「私のあれに対して、相手は花束だって?」と。
そして不平等さを勝手に感じる。
自分がただ、高価なものを与えただけに過ぎないのに。
つまり、私は他人に対して自分自身を犠牲にしてまで支えようとする。
時として血を流し、あざもできる。
それでも私はその人を救おうとする。
なんとかしてやりたいと思うわけだ。
でも相手は私と同じような事はできない。
血を流すことを嫌がるし、あざだって作りたくない。
自分に危害が加わらない程度に人を「心配」する。
それが多くの人が行う行為であり、それは間違っちゃいない。
正しい距離感を保つというのはそういうことを言うんだろう。
それに対して私が勝手に文句を垂れるだけなのだ。
「なぜお前達は自分を犠牲にできないのか?」と。
これは本当に私の勝手な思いでしかないことは、頭では理解はできる。
でも心では、「もっと何かできることがあるだろう?」と思ってしまう。
それが蓄積されていった結果、私は勝手に疲れ、
勝手に「支えられない、愛されない」と思ってしまうのだ。
これが私の問題なのだろう。
私は感謝すべきなのだ。心の底から。
それが出来ないのは、私がサイコパスだからかもしれないが。
だが、もし貴方が手編みのセーターを相手にプレゼントしたとして
それに対して相手が100均で買ってきた軍手を渡してきたら?
不満には感じないか?
平等だと思うか?
感謝できるだろうか。
どうでしょうか。
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ヒデ
相手は手編みのセーターは重いとも感じるかもしれないね。 とくに特別なプレゼント交換でないのなら軍手でもかまわない。汚れ仕事には役に立つから。 価格や思いの大きさではなくて無駄にならなくてあの人に使ってもらえるか?を考えることも気持ちとしてはあると思う。 それを分かってもらえないと送った方だって落胆するとおもうよ。 じつはうちの母親がそういうタイプで随分落胆させられ。プレゼントはしなくなった。 そして今どうしてあんな態度だったのか?がようやく理解できました。