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りか

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九九覚えた小学生時代ガチすげぇと思う。100パーセント学びへの好奇心だよな。
いまからあの数字の羅列覚えろって言われても絶対無理だもん。
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NAC

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ノンデュアリティ形而上学のくわしい説明



ノンデュアリティの間違った説明の例

存在意識がその一部によってモチベーション(動機、ワクワク)の活動を観照し癒す

という間違った説明についてのべる

まず

一元論のスピリチュアルにおいては
好奇心は
一元からおきた幻想レベルの心と説明される場合がある
この一元論は誤りであるとのべねばならない

なぜなら

純粋一元からでは
幻想の発生が
説明できないからである

したがって
モチベーションは

実在にもあったとみなさなくてはならない

実在どうしが別れている説明では
分裂症であるゆえに

ひとつのスピリットにメインの性質(ただ在る)
とサブ性質(モチベーション)
があるという意味での全能元(純粋一元論ではなく)
が提唱できることになるであろう

そして次に

存在意識(ただ在る)がその一部の意識をつかい
観照によって、モチベーションや宇宙発生を
癒す
という説明の誤りを同様に指摘する

なぜなら存在意識がモチベーションを観照してしまうと
融解していくという意味になるので
実在レベルにあるモチベーションが消滅してしまうことになり

純粋一元の同じ誤りとなる

すなわち

実在しなかったものが

幻想を発生させたことはできなくなり

さいしょの純粋一元論と
同じ間違いを提唱していることとなる

したがって
意識が動機を観照し癒す
(または、
あなたは動機ではなく、その背後にあるものである
という説明)

この説明は

じつは誤りであることが明らかとされた

純粋一元という誤りと同じだからである
(そもそもの幻想の発生の説明が不可能)

ではこのよくある癒しの説明が誤りということであれば
その不可能である間違った説明の正体とはなんであるのか

それは、じつはなんと

その不可能なことをできると間違って説明している

モチベーションを観ている存在の正体は

自我

だということである

自我が観察しているのである

不可能な偽りの癒しの説明では

堂々めぐり

となる

それは
ただ在る
という平安の自覚も忘れている

じつは
実在のサブ性質である好奇

からの空想である個

のあとのさらにおきる

主体化催眠における自我においての

その努力の気づきによる目覚められるという錯覚である

ほんらい実在における好奇であり不自然である
サブ性質は
好奇と不自然であるそれは同一であると気づいているので

空想(好奇に傾き)



宇宙を発生させることなく

ほんらい実在にとどまっているのである

しかし

好奇であり不自然であるものを

ワクワクとだけとみなしたがる自覚における間違った実験が

空想となり

幻想宇宙を発生させるのである

つまり
実在のサブ性質の好奇(そして不自然)の
自覚が破れたかのようになることにより

空想により

空想された個

そして主体化催眠

そして

それによる活動(努力)を実在とした世界が
誕生するのである

しかし

いぜんとしてそれらは好奇であり不自然である

ワクワクであり苦しみ

の多次元の世界なのである

そうなることは避けられなかったがゆえに

間違った自覚の試みは

たしかに間違ったものであり

空想は終焉される宿命にある

このすべては
サブ性質からのオートマチックである

メインの性質である ただ在る



なにも空想しない
それは常に不変である

間違って空想へ流出変容したのは

好奇であり不自然でもあるワクワクというサブ性質
からだけであったということです

メインの性質である ただ在る

その活動や帰還には関与しない
それはメインの性質として
サブ性質とともに
ありつづけていた

ということなのです

したがって

幻想と終焉は

ほんとうは実在においてのサブ性質からのオートマチックでしかありえないのです

さいしょの巧妙な話、
存在意識がその一部によって
モチベーション(動機、ワクワク)の活動を観照し癒す

ことができるというのは

そもそもの
幻想の発生も説明できなくなるものであり
したがって
癒しもまたニセモノの
催眠状態の
自我の妄想による
自我努力論

となり

そのあいだ真の平安に気づいておらず

また
オートマチックにも気づいていません


以上です


#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
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はぐ兄

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江戸時代の子育ては「叱らない」というより、「大声で怒鳴ったり体罰を与えず、優しく、しかし道理を説いて聞かせ、自立を促す」のが理想とされましたが、実際は甘やかしではなく、「見守り、体験を通じて学ばせる」方式で、地域全体で子どもを育てる「全員参加型」の側面も強かったのです。現代の「叱らない育児」にも通じる、「体罰禁止」「道理の教え」「見守り、自立を促す」点が特徴で、現代の子育てにも示唆を与えています。 

江戸時代の子育ての主な特徴

体罰・大声での叱責の禁止: 育児書には「大声で怒鳴ったり、手をあげるのは絶対にダメ。優しく説いて聞かせなさい」と説かれていました。短気な親が怒鳴ると子どもは心がねじれるとされたためです。

道理を説き聞かせる: 体罰の代わりに、なぜその行為が悪いのか、親や地域の大人が「言い聞かせ」で教えました。子どもは多くの大人と関わり、社会のルールを学びました。

「見守り・自然に学ばせる」: 「叱って甘やかす」のではなく、子どもが自ら遊びや家業の手伝いを通して、集団行動や責任感を自然に学ぶように「見守る」姿勢が重視されました。子ども同士のコミュニティも重要視されました。

「全員参加型」子育て: 親だけでなく、地域社会の大人も子育てに参加し、子どもは幼い頃から家業を手伝ったり、大人と一緒に芝居や寺社巡りに出かけたりと、多くの大人と関わりながら育ちました。

父親の役割: 父親は家や家業を継ぐ跡継ぎである男児の教育に責任を持ち、仕事の教え込みも担当しました。父親向けの育児書も存在しました。 

「叱らない」の真意
江戸時代は、子どもを放置していたわけではなく、体罰で無理やり抑えつけるのではなく、「心に響くように教え、自立を促す」という、より高度なしつけを目指していました。

そのため、現代の「叱らない育児」に通じる、「感情的に叱るのではなく、子どもの心に寄り添い、正しい方向へ導く」という考え方が根底にあったと言えます。 

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