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みのむし

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客から注文の連絡が来てよくよく聞くと見積の提出元の部署が違ったから、見積に書いてある部署にご注文ください〜って言ったらもうその瞬間手が付けられないほど激昂。

ふざけんじゃねーぞ!!とか、なんだお前の態度は!!!!とかいきなり怒鳴り散らす中で推察できたのは、もともと正しい部署に連絡したものの、何かの手違いでうちの部署にかけるよう指示があったらしい。それで私も違うよ〜って言ったもんだからたらい回しにされてんだよ!!!とかもう大騒ぎ。

もうこちらの質問ガン無視で情報得られず話にならず、どこの部署から出てる何の見積なのかもなにもわからないのでとりあえず見積送って確認するからと伝えたFAX番号が明らかに見積と全然地域の市外局番なのでようやく間違えた部署に掛けてると気づいた模様。(うちの電話はナビダイヤルなので電話時点ではは気づかない)

その後すぐに担当の部署から電話が入って、間違えてそちらに回しちゃいましたごめんなさいお客さんにも連絡してます〜って言われて完了したんだけど、なんかめちゃくちゃ怒られ損…結局お客さんからFAXは届かないし(送る前に担当部署から連絡あったんだろう)なんの連絡もなく、赤の他人にいきなり電話口で激昂するような人に謝罪を期待するほど私もバカじゃないけど…散々怒鳴り散らしておいてなんなんだろうって気持ち。
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きっと私は、漠然と生きてきたのだろう。

言い換えれば、漠然と生きられるような道を選んできたとも言える。

記憶に残る過去は幾つもある。
でもそれが、私と言う一個体を形成している印象的な事柄かどうかは解らない。

生きづらさやモヤモヤ感はあるにはあるが、これもまた漠然としている。

突き詰めなかった自分が原因か?それとも、言語化できない知力の問題か?


曹洞宗の南直哉氏は、諸行無常という言葉に救われたそうだ。

答えではなく、長年の問いの言葉が見つかった感覚だと。。

恥ずかしながら私は、30半ばにして、一切皆苦で救われた。

救済と絶望を同時に味わう感覚だ。
「だからか!」と「やっぱりね!」という霧が晴れたような気持ちと、治らぬ病気を宣告されたような気持ちだった。

あくまで私個人の話だが。。
これは、置き場所の解らない荷物を持ち続けた辛さがあってこそだろう。

心的な問題だが、様相は分からずとも在ると思ってしまったからには質量が生じるものである。

重さに耐えながら生きている、という感覚が芽生えてしまったのだ。

だから常に痛みに耐え、置き場所を探して歩いている状態だ。
となると、目の前の事象にイマイチ集中できずに、何処か上の空か他人事か、、そんな毎日。

そこに仏教の言葉が入ってきたのだ。

そのおかげで一時でも荷が軽くなり、色々と俯瞰して見られるようになった。。

だが、その後の「どう生きるか?」という物語の前提として、「苦からの解放」という条件がついてしまったのだ。

これが、仏教的に正しい考え方な訳ではないだろう。
だが、私の中に湧き出たこの考え方が、しばらく私を包み、安心感と思考の制限を同時に抱き歩む事となる。
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