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吉田賢太郎
第一連:TPOの多面体
世の中は、TPO(時・場所・場合)で変わる。
君の**「正しさ」**は、他者の「真実」とは限らない。
誰かの常識、誰かのルール、それはその場の、その時だけの、
人の数だけある、ガラスの「多面体」。
絶対の「答」は、どこにもない。
あるのは、君の立つ場所、光の当て方。
自分を責めすぎないで、他者を断罪もしないで。
皆、それぞれの**「今日」**を生きる旅人だから。
第二連:予定は砂の城
「自分は悪くない」と囁く声が、増えた時代。
それはきっと、不安な時代の防衛本能だ。
でも、忘れないでほしい。
反省とは、君を縛る鎖じゃない。
それは未来へ、**成長の「種」**を蒔くための、
たった一度のチャンスだ。
未来は、手のひらに作った**「砂の城」。
計画は、風が吹けば崩れる、「未定」**の地図。
第三連:明日の風を待つ勇気
今日の風が強くても、嵐が去っても、
君は立ち止まっても、前に進んでもいい。
「明日は明日の風が吹く」
今日抱える心配を、今日で終わりにしよう。
今日できること、今日楽しむことに集中しよう。
人生は、固く結ぶ**「決定」より、
緩く結び直せる「未定」**のほうが、遥かに自由だ。
君自身の羅針盤を信じ、
明日吹く、新しい風を待つ勇気を持て。
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けい


あき
『兄を持ち運べるサイズに』のタイトルからは、だらしない兄が突然死んで遺品を整理していたら兄はいい人だった的なファンタジーを想像しました。
私は飲み屋も映画も検索しません。事前情報無しで触れます。
映画の冒頭
支えであり、呪縛ではない
の文字、一瞬にしてあ〜、これから家族ファンタジーの映画が始まるのかと思いました…が…
映画は主人公にとって「この世からいなくなってほしい」と願った迷惑ばかりかける兄の死を、警察からの電話で聞かされることから始まります。
この場面は私を父が死んだという電話があった日にプレイバックさせました。
弟から電話がありました。
「兄ちゃん、お父さんが死んだんだって、警察から電話があった」
「それで何て言ったの?」
「兄ちゃんの電話番号教えた」
「え?何やっているの、誰であっても兄ちゃんの電話番号を勝手に教えたらダメだよ」
弟は愛の手帳を持っていて1人では生きていけないので、私が骨格の部分は面倒をみています。
そんな弟だから警察から電話かかってきたら、びっくりして私の電話番号を警察に言うのは仕方のないことです。私は一瞬イラッとしましたが、すぐに冷静になって
「ごめんね、警察はなんて言っていた?」
「お父さんが死んだって」
「事件?事故?」
「わからない」
弟にこれ以上聞いても仕方ありません。電話を切りました。
当時絶賛警察と対決中、私は街中のお巡りさんも含めて警察官になろうとするすべての考え方に嫌悪感を持っていました。
20代の時、父とは2度の裁判を経て、お互いの存在をかけた争いをしました。最終的に父を山に埋める決断をしたほどです。この時もそれくらい追い詰められて相談に行った寝屋川警察署は誰もまったく聞く耳をもってくれませんでした。
これは結果的には実行に移さなかったのですが、以後父は私が隔離するために用意した寝屋川市の文化住宅で生きていくことになります。連絡するでもなく家賃4万4千円を私が払い続けました。
そんな父からショーメッセージがきはじめたのは、今から考えてみると死ぬ1年前くらいからでした。弟を私が飼い殺しにして腐らせているという私を瞬間的に沸騰させる内容でした。このあたりの説明をし始めるとこれまた膨大な文章になるのでカットしますが、これこそが現実とノンフィクションの大きな違いであって、いかに事実に基づいたノンフィクションといっても、やはり現実を簡略化明確化したフィクションであるってことです。
映画の主人公は、めんどくさいと思っていた兄の死後整理を兄の元嫁や兄の子供たちとすることによって、それぞれに自分の知らない「兄の像」をあることを知ります。
父は文化住宅の自分の部屋で死んでいたのですが、それを発見したのは自分で作ったサークル「司馬遼太郎を語る会」に父が来ないのを心配したそのサークルに参加していた人たちでした。
私には迷惑をかける存在でしかなかった父でしたが、父の話を楽しみにしている人が最後までいたのです。
そう私も私がジャッジした面しか父を知らなかった。
人を自分が見た面だけでジャッジしない、私は仕事において意識していることです。でも、父に対してはまったくやっていなかった。
この映画は頭の中で作られたストーリーではなく、誰かの体験がベースになっていることは間違いありません。
なぜなら「本気の悩み」ってのは触れる者の心を揺さぶるからです。
面白い映画でも感動する映画でもありませんが、観てとてもよかったです。
最初から最後までずっと涙がこぼれました…
(終わり)


ななみ🥜

ひーで
半分以上聞けてない😑

りら
応援する気持ちと、少しだけ寂しい気持ち。
ここに留まり続ける限り、この先も周りの人を見送っていくんだろうな。
……
私の業務が属人的過ぎることから会社の今後の事も考えて改善しないかと提案したものの、予算と人員面で却下され、インハウスデザイナーとしてフル活用されている(活用そのものが嫌というわけではない)。
ただ、生涯骨を埋めて行くか不確定な社員の、記憶と経験と配慮に頼り続けるのはいかがなものかといつも思う。
横の繋がりが弱い組織の中で、多方面からの些細な情報をもとに、パズルのピースを埋めるように仮説立てて難を防いでばかりいる。
その時になったら引継書をひたすら作ることになるのかしら…。
おこめちゃん
山猫
その親御さんはまだ出来事の上澄みだけの説明だけでただ怒りを息子にぶつけ、俺にはよくわからない言い訳と言い分を並べた上で言葉だけの謝罪と分割返済の要請
※ちなみに借主はワンチャン詐欺(欺罔)罪で訴えられる可能性があるレベルの事をしでかしてる
俺はなんでこの親子にそこまで舐められた態度をとらなアカンのや?
筋通すなら、親がまず息子の借金を立て替えて俺に一括返済した後に息子を働かせるか何かして徴収していけばええやん?
息子は実家に戻ってるんやから
で、それぞれ自分のことしか考えてないから筋を通すことができてない訳で
改めて聞きたい
俺が分割返済で完済を待たなければいけない理由はどこにある?
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ト ミ

冬山
推しの顔が良いです

ヒュ一
ゴジョゥサトゥルとは何ですか?
ゴジョゥサトゥルは、主に日本の伝統的な食文化に関連する料理の一つです。具体的には、以下のような特徴があります。
定義: ゴジョゥサトゥルは、特に米や豆を主成分とした料理で、地域によって異なるバリエーションがあります。
使用される食材: 主に米、豆、野菜、魚介類などが使われ、栄養価が高いのが特徴です。
調理法: 煮る、蒸す、焼くなどの方法で調理され、家庭の味として親しまれています。
この料理は、特にお祝い事や特別な行事の際に作られることが多く、地域の伝統や文化を反映しています。食べることで、地域の歴史や人々の生活を感じることができる、そんな一品です。

箰@えふ
なんというか、こう、良い感じですね。
すぺおつでした。

ホッキ

ミゾ

まめゆ
とっても上手だったよ。
#JO1ANNX
#富士山とコーヒーとしあわせの数式
#豆原一成 #JO1

ぱんぎ

ある
#10THINGSじゃ足りない迅への想い
#HAPPYJINDAY

あんま
じってをもって、よわいひとをまもっている。
いつもげんきいっぱいだけど、ちょっと あわてもの。
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