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はかり
回答数 57>>
自己責任か、自己責任ねぇ
自分1人の集団を基準で考えれば自分で自分に責任を負わせることができるかもね。
そう考えると自己責任と自分の属するあらゆる集団から負わされる責任は分けて考えられるね。
会社の一員として会社を存続させる為の責任、日本人として日本を存続させる為の責任。
私自身として私自身を存続させる為の責任とか。
私の存続を考え行動するならば、私を取り巻くあらゆる集団との調和が必要にはなるが、同時に集団との不和が自己の生存を脅かさない場合には、自己責任を負わない可能性を見出し、人は社会に背を向ける行動をするかもしれない。
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華
あっという間の1年だった気がする。

Yuya
やり切ったなーと思える一年でした

らお。
ENTJはでたことないけどNT型ってことでいいかな。

こう

ぷも
血だらけで搬送された運転手さん大丈夫かな…

人生しんどーさん

アーモンド
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らむぽ

ゆうゆ🌻
確認✋
今日って日曜日でいいのよね[冷や汗]
#笑って生きよう
#イマソラ



ハーロック
しかし、条件が揃えば変えることは可能な場合があります
他人を変えるのは、100%無理というわけではありません
洗脳すれば変わりますし、必ずしも洗脳ではなかったとしても、説得に応じることもあるからです
では、過去はどうやって変わるのか
それは、自分が変わった時に起こります
過去と現在で、解釈する自分の価値観が変わった、ということです
例えば、当時はまだ子供で経験値が足りなかったが、大人になって思い返せば、そういうことだったのかと解釈が変わることはあるのです
今にして思えば、ということです
なぜこのような事が起こるのかというと、事実と真実は違うからです
事実とは、起こった出来事そのままをさします
真実とは、事実に自分の主観を足したものになります
例えば、ここに1杯のコーヒーがあります
これが事実です
ここに1杯の温かくて美味しいコーヒーがあります
これが真実です
だから、真実とは解釈するひとの数だけ存在するものである、となります
解釈する自分が変われば、当然過去も違って見えてくるわけですね
もちろん起こった事実は変わりません
ただ、人間の記憶は曖昧です
確かな記録が無かったとしたら、解釈により事実まで変わる可能性はあるのです
感情により拡大解釈をしたり縮小解釈をするのは普段からザラにありますね
つまりはそういうことなのです
数十年単位で見るならば、過去は時代背景によっても全然変わってくるのです
美しい思い出として美化されていればまだいいですが、歪んで憎しみが増しているとしたら、こんな悲劇はありません
憎しみは、自分の身を焼きます
その憎しみが正当なものか逆恨みかは、関係ありません
故に、憎しみはできれば手放した方がよい
僕はそう思います
さて、かようにして過去と他人は変わる可能性を秘めている
というのが僕の解釈です
今回の講義はここまでです
#希望


ソルト
右上:夜 秋刀魚祭り 今年初の秋刀魚刺身[目がハート]
下:今朝もランニングしたけど、昨日の疲れがあり5kmもたず終了_:( _ ́ཫ`):_。
朝食はこれからですが、今朝も秋刀魚焼きます🫡食欲の秋爆発[好き]
今日も昼飲みしようかな[疑っている]
皆様素敵な日曜日をお過ごしください🍀*゜





みずや

ハマっ

🌿ぎっ

あいの

つっき

りんご
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