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さくら
その日の顔の調子だいぶ違うな。
忘れちゃいけない。
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シークワーサー森本🌺

安友
運動会、学芸会、文化祭…
母が仕事で来られない時も、必ず誰かしらが顔を出してくれた。
そんな時、弟でよかったと幼心に思ったものだが、
兄たちは父を知らない私を、不憫に思っていたのだと思う。
やがて私が構い過ぎる兄たちを鬱陶しく感じるようになり、
兄たちもそれを察してか、私に構わなくなっていった。
思春期、反抗期というやつだったのかもしれない。
年がら年中仕事で家を空けていた母。
兄たちが働き始め、それぞれ独立し、母と二人暮らしになった頃、
それがちょうどピークだったのだと思う。
誰にも当たることはできなかった。
自分がやらかしたことは、自分の責任。
何か問題を起こせば、忙しい母が頭を下げて回ることになる。
兄たちの姿を見て、それを誰よりも知っていた。
それは、時間のない母にとって一番困ることだと、
強く思っていたのだと思う。
母が好きだった。
いや、今でも変わらず好きだが、
「好き」という言葉だけでは足りないくらいの感情だ。
世の中には、
「母が好き=当たり前」
ではない人もいるのだと、いろいろな媒体を通して知った。
そういう意味では、
私は幸せ者だったのだと思う。
そんな母も歳をとり、
「誰かが一緒に暮らすべきだ」という話になった。
一番長く母と暮らしたのは次男だった。
最初に就いた仕事を一年で辞めて帰ってきてから、32歳まで一緒に暮らしていた。
母はよく言っていた。
「面倒なんか見なくていいから、早く独立して出ていって!」
親が子を育てるのは当たり前。
でも子が親を介護するのは、母のプライドが許さなかった。
そんなことをするのは人間だけで、
自然の摂理から逸脱している。
本気でそう思っていたのだろう。
「私がいるから次男は独立できない」
そう言って、家を飛び出したこともあった。
飛び出した先は、私のところだった(笑)
二、三日すると自宅に戻っていったが、
その時、次男と何があったのか?
詳細は語られなかったが、
だいたいの想像はついた。
それから間もなく、
次男は何も言わずに家を出た。
あれから30年近く。
どこでどうしているのか、母は知らない。
8年前、母がガンになった時、
病院の先生から連絡があり、急ぎ手術が必要となった。
胃を4分の3摘出する大きな手術。
その後の看病、介護をどうするかとなった時、
介護経験のあるパートナーが
「僕でよければ」と名乗りを挙げてくれた。
当時、彼は派遣で介護の仕事をしていて、
それはとても心強かった。
ただ、実家までは片道2時間。
一方で、うちからタクシーでワンメーターの距離に、かかりつけの病院がある。
一緒に暮らしてくれたら、
どれだけスムーズに進むだろう。
そう母に懇願し、
私たちは一緒に暮らすことになった。
もちろんここでも母は嫌がった。
そこで感じたのは、
母とパートナーの相性の良さだった。
一緒に買い物へ行き
時には映画を観に行き
私のコンビニ経営が軌道に乗り
ようやく損益分岐点を超えた頃には、
兄弟の誰よりも、母とパートナーの関係が深くなっていた。
その頃、
消息を絶った次男をFacebookで見つけた。
長兄に連絡すると、
Facebook経由で次男に連絡を取ってくれた。
「母危篤…」
実際には手術も終わり危篤ではなかったが、
もしものため、少し大袈裟な文面だったらしい。
…返信はなかった。
それから8年の歳月が流れ…
今年の正月、30年ぶりに
次男が帰省しているという連絡が長兄からあった。
次男に会いたい。
もちろん、母にも会いたい。
仕事の都合で会いに行けないと伝えると、
母と次男が二人で店(コンビニ)に来てくれることになった。
めでたいことなのか?
それとも…
長兄からのメールには、こうあった。
「二人の確執に触れるのはタブー」
それなら、
何を話せばいいのか?
大きな課題を抱えることになった。
たぶんタブーは破られると思うが…(笑)





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ご冥福をお祈りします

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稼働が楽しみ

サラダ
いい天気☺️☺️


みうち
・少人数だからグループが割れやすい
・クラスの人嫌いになったら終わる
以上が現状ですねハイ
大変そうです(他人事)

あーこ

えり
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