昨日カバンをなくしたと思ったらありました。現場終わりに材料買おうと思ってホムセンに着いたらカバンがなく昨日同乗した仲間に聞いてもなくて遅くなると家に連絡したらなんといつもカバンをかけているところにあった。というオチでした。免許とちょっとしたお金は身につけているから問題ないけど朝か
2週間も経てば自分の書いた文章も最早「過去の己」という他人の書いたものとなるので自分へのどでかい供給と化すんだけど読んでいる途中で誤変換やルビ振りの失敗、或いはあまりにも意味の通りにくい表現を見つけた途端に「ああこれは確かに私が書きましたね」と現実に引き戻されるのが良くないよ