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楓花(ふうか)
そして出来た絵がこれだ。
そしてこの絵は県立コンクールに出され、
賞をもらった。
その少し前、「絵の学校に行きたい」と
初めて具体的な夢の進路を母に言った時、
母はブチ切れて画材道具をハワイのスラムの
道に放り投げた。
そこから私のパニック障害は始まった。
そしてこの絵を美術館で家族と親族総出で
見に行った時、高校の美術の先生もいた。
先生は母に言った。
「このコンクールで賞を取る子達は
皆美大に行く事が決定される子達なんです」
要するにこれがチケットになるわけだ。
それを聞いた時の母の表情は、
人間のそれではなかった。
後悔か、怒りか、憎しみか、悲しみか、
あらゆる負の感情が入り混じった顔だった。
母もかつて絵を描くのが好きな少女だった。
そしてその夢を親に反対され抑圧され育った。
人の歴史はこうして螺旋のように繋がって
後世に影響を及ぼす。
家族は社会の最小単位だが、その中にも立派な
歴史が存在する。
だから私はせめて自分の母親のような親に
ならないように努めている。
「好きにしたらええ」
それでいい。
ただ金のかかる学校行くなら
奨学金で行ってくれ…
私も奨学金で苦労はしたが、それだけは…
それだけは勘弁してくだちい。

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楓花(ふうか) 投稿者
その頃はもちろんスマホなんかなくて ガラケーで撮ったこの画像しか残ってない。 実際には長い間この絵は高校の校長室の真ん前に飾られていたらしい。 だが、自分は全然知らなかった。 興味も抱いてなかった。 一度描いた絵に執着がないのが私だ この絵に対する思い出は、その事と あとは石畳に油をぶち撒けて めちゃくちゃ申し訳ない気持ちになったことくらいだ。 そして戒めとしてこの絵にも同じシミを石畳に描いてる。
KINOE
私はそんな立派な絵は描けないけど 昔若い頃、会社で評価されて チームリーダーに選ばれた事がある 私はそんなリーダーなんて そんな柄じゃないんだけど 評価された事は凄く嬉しかった 親に話したら 不機嫌そうに バカにした様に 『あんたなんかにできるの?』 と言われた おめでとうも 頑張ったねも言われず まぁいい年して 親に褒められたいとも 思ってた訳じゃないんだけど その時のモヤモヤした気持ちを 思い出した
ヨキカナ
親って1番の味方になるか? 敵になるか?どっちかだったりすると思う。 私はこんなに素晴らしい能力は無いから自ら諦めたけど 私も美術を学びたいって言ったら 凄く反対された。 高校の選択科目も勝手に 書道にさせられそうになった。 担任が理解のある人だったから 高校の選択科目だけは 美術が選択できた。 美術の成績は良かった。 美術を学んでいてもここまでの 絵は描けなかっただろうから 親には見る目が有ったのかな? でも、楓花さんの場合は違うね? こんなに素晴らしい絵が描けるのに 何が不満なのか? 親には子供に描く幻想が有るのかな? 親の心子知らずって言うけど 子の心も親知らずだね?
M0N0117H
分かります。自分を超えられるのが怖い?親って、存外居るもんなのですね。 すごいなぁ、勉強になります。
落ち着けオレ(改名)
いい先生ですね! それに美術が得意だったら画家になるのも道かもしれませんが、アニメや映像関係、グラフィックデザイナーなど潰しが効くの理解してないんでしょうね。