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ダリア

しげる@
岩手も危うい
接客業シフトの話してる時にレジ早くしろとか言わんで欲しい仕事すらさせてもらえん( ; ; )
#haruharutalk

A・キミ
クオンの口角の上げ方まで見事に再現されている

ころっ
これからもう一個頑張る
うひょ〜

シィ

ベーグ

おいし
アレックスヘイリーの生涯について知りたい。
アレックス・ヘイリーの生涯についての情報をお伝えします。
生年月日と出身地: アレックス・ヘイリーは1921年8月11日にアメリカのテネシー州で生まれました。
教育: 彼は大学で海軍に入隊し、その後、アラバマ州のアラバマ大学で学びました。
キャリアの始まり: ヘイリーはジャーナリストとしてキャリアをスタートさせ、特に「プレイボーイ」誌でのインタビュー記事が有名です。
代表作: 彼の最も有名な作品は「ルーツ」(1976年)で、これは彼の先祖を追いかける物語であり、アフリカからアメリカへの奴隷制度の歴史を描いています。この作品はテレビミニシリーズとしても放送され、大きな反響を呼びました。
影響と遺産: ヘイリーはアフリカ系アメリカ人の歴史と文化を広めるために尽力し、彼の作品は多くの人々に影響を与えました。彼は1977年に亡くなりましたが、彼の業績は今もなお多くの人に語り継がれています。
アレックス・ヘイリーの生涯は、彼の作品を通じて多くの人々に感動を与え、歴史を理解する手助けをしています。

べびも

頭きり

あき
お腹いっぱいなのでいりませんと言ったのですが、人数分買ってきたので…と先方の奥さまが食い下がったので、1ついただきました。
子供の頃、従兄弟の家の近くに自分の近所にはないケンタッキーとミスタードーナツがありました。従兄弟の家に泊まりに行くと、どちらかを叔母が買ってきてくれてたので物凄く楽しみでした。
私の子供の頃は鳥の唐揚げを口にすることも無かったので、ケンタッキーは不思議な魅惑の食べ物でした。いつも1つだったのでいつか3つくらい食べたいとずっと思っていました。
10代後半、養鶏場を目にしたショックで私は玄米菜食へと没頭していくので、ケンタッキーはフライドチキンを3つ食べることなく私の世界から消えました。
20代後半、ポスター貼りを手伝ってくれた老夫婦がきっかけで私はビールを飲み始めました。
ビールを解禁したことで、様々なお酒を飲み出し、お酒を飲み出すと多くのことがどうでもよくなり、玄米菜食も次第にこだわらなくなりました。
そして、ケンタッキーを目にしたのでした。
もう養鶏場のショックは薄れていたので、子供の頃願っていた、フライドチキン3つを買ってみました。
正直、その時あまり美味しくなかったです…鶏肉が脂だらけに感じました…再会がそんな感じだったので、ケンタッキーは再び私の目にはとまらなくなりました。
後年、タイへよく行くようになりました。タイではバスをよく利用しました。
バス停で待っていて、その時、確か食事のチャンスを逃してお腹が空いていました。バスに乗ってしまうと3時間ぐらいは乗りっぱなしです。目の前にケンタッキーがあったので入ってみることにしました。バス停が見えますのでバスが着たら走ればいいかと。
店内のタイの方々のほとんどが白いご飯のついた定食を食べています。あのケンタッキーの匂いとタイ料理の匂いが混じって私にはとても美味しそうに感じました。
私もケンタッキーの定食を頼みました。
フライドチキンを一口、鶏肉がしまっていてとても美味しい。東南アジアの鶏肉って日本と違ってほんと美味しいです。
そして、タイ米を一口、フライドチキンに合いました。
が、その時、目の前のバス停にバスがやってきました…私はそれぞれ一口、一口食べただけでしたが慌てて処分してバス停に向かいました。
その後コロナ禍になったのでタイへは行ってませんが、あのケンタッキーでの定食はとても美味しかったのでもう一度食べたいかな。

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