投稿

アナ🐜
この言葉、占いの場でよく耳にします。
でも私はこの言葉にずっと違和感を覚えてきました。
それは「占い師が責任から逃げるための魔法の言葉」になっているからです。
「当たらなかったとしても、所詮は占いだし」
「深く気にしなくても、所詮は占いだから」
「不安にさせてしまったけど、まあ所詮は…」
ならば聞く。
じゃあ“所詮”なものをあなたは提供してるのか?
本当に“所詮”だと思ってるなら、その占いにどんな意味があるのか。
逆に、“所詮”なんかじゃないと思っているなら、その言葉を安易に口にするのは矛盾していないか。
占いは万能ではありません。
未来を当てるものでも、正しい答えを教えてくれるものでもない。
でもだからといって「無責任でいい理由にはならない」
相談者の悩みに触れるという行為は、いつだって人の心の深い場所に立ち入ることになる。
「所詮は占い」と自分の行為を下げるその前に、
「それでも誰かにとっては、人生に関わる行為なのだ」ということを忘れてはいけない。と思ったりします。
#占い #タロット
コメント
話題の投稿をみつける

ユ

🧵🩵

ナルキ

妖怪布
ほなガンダムも喋るか

みしゃ

ぷろふ

☆りん
東寺のイベント映像が入ってる新しいバージョンのテレビでやらないのかなと思ってたから嬉しい✨️
#吉沢亮
#横浜流星

おぢさ

ろく

🐰揚々
ちょっと心臓持つかな....????
もっとみる 
関連検索ワード

アナ🐜 投稿者
・もし“ただの遊び”ならなぜ人は悩んでまで占いに来るのか。 ・その言葉に希望を託してくる相手に「所詮」などと言えるのか。 自分にとっての占いとは何か?を占い師自身が自ら深く問いかける必要がらある、とは常々思っています。
アナ🐜 投稿者
"カードがそう言ってる"系も。 「いや、他でもないお前の言葉だよ。カードに責任押し付けるなよw」っていつも思ってる笑
院殿大居士にこ
ガチな話をすると、占いはその簡易さの割に他人の記憶に入り込めすぎるんで、占い師本人が思っている以上にリスクがあるし、所詮で済まないほど、他人の人生に影響を与え過ぎるんですよね。
院殿大居士にこ
実際、他人に縛られた運命という名の意味付けを象徴によって、内面の意識化を果たすことで、縛られていた「言葉」から意味を解体し、新しく意味付け直すことは、魔術的手法ですものね。だからこそ余計に「所詮」で済まないんですが。