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まさ
神と人を繋ぐ柱、人と神に架かる柱
神はどこかに「在る」。そしていつも「いる」と信じられるものであった。人は、どこかから「ここ」に神を「呼ぶ」ための道をつくった。それは磐座と呼ばれ、神籬になり、柱になり、人柱にもなった。
山奥、人やケモノの気配すら感じない荘厳な自然に鎮座する岩に人々は神性を見出した。岩を信じた人々は岩を削らず、語らず、ただ、祀った。語らぬ神は、声なき命そのものであった。山の奥、風の吹かぬ凪、苔むした巨岩には神が「いる」と思う。それが最初の依り代であった。岩は磐座と呼ばれた。
やがて人は神を呼ぶ方法を覚える。祭の日、斎を終えた地に榊を立て、紙垂を垂らす。
そこに神を招く。それが神籬という義。神はいつもどこかに「在る」。だが、この日ばかりは、神は人の手で用意された大きな巨木に降りてくる。神を迎えるとは、人が神の道を整えること。だからそれは「柱」を立てることでもある。
神とは結界である。集落と外界、里と野、生と死の境には、不意に現れる理不尽への恐れと祷りが込められる。そこに道祖神が建てられる。それは神であり、結界である。それは、生命のメタファーであったり、丸石であったり、積まれた切り石だったりした。その背後には異界との境界を護る石がある。道祖神とは神の出口であり、異界の入り口である。
だが、神は時に荒ぶる。雷を呼び、地を割き、猛々しく唸る。供儀はその怒りを鎮めるために行われた。贄には人の命すらも捧げられた。それは人柱と呼ばれた。人が「柱」になるとは、人が神と地の間に立つということ。柱とは神と人を繋ぐ道であった。人と神の間に立つということは、依り代になることと同義であり、命を賭して境を繋ぐという究極の自己犠牲だった。
神の助数詞である一柱とは、神が一柱の柱のように此の世に立つという意である。柱は天を支え、地に根を張る。天神地祇を現世と繋ぐ通り道。それは正しく此の世とあの世を繋ぐ道であった。
柱が立つ場所には神がいる。依り代がある場所には神が在る。供儀が行われた場所には、神が納まる。
柱とは信仰そのもの。見えぬものの居場所をつくるために人は山に岩を見、木に神を呼び、石に道を護らせ、時に人と神を繋ぐため柱に架けて交信した。
それがこの国の信仰であり、祭りであり、神との距離の取り方である。
コメント
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コロナ

ネ コ
熱いから悪夢見ていたかも
寒いからって沢山着ても暑すぎたら寝てる間にもエネルギーを使い過ぎる虚脱になる疲れ果てるんだな

みなみ

ひだか
橙原作だとデパートに剣心がいたり、橙じゃなさそうなキャラがいたり(アシさんのオリキャラか美少女系の何か?)で面白い

かしわ
……違うの、文句を言いたいのではなく、むしろ 満足しているのだけど そんな「あるある」があったとは 知らなかったっていう話(◔‿◔)
というわけで 前髪ぱっつんです

沖津細(
おはようございます
珍しく休日1日の予定をちゃんと組んでるわ
というわけで今日は久々にトリミングをした後お買い物をして…その後どうしようかしら
今日は21:00〜虹乃アルファさんの所で電脳灯争戦決勝同時視聴配信よ
今日も一日のんびりしましょ

海
そんなに病みそうに見えるのか
太陽あったって病気は治んないしどうせいつかは鬱になるんだから好きなとこ住んだ方がいいじゃん

ななん

残業@出
おわかりかしら、お前もファンブルにしてやるということよ。KP、なんの情報も得られませんでした。どうにかしてください。

セミ丸
今残ってる元河合担大好きだってことばっかり話してた
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神は遠くにいるのではない。人の手の中に、場の中に、柱を通して「くる」ものなのだ。