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ササミ小路ムネ熱

ササミ小路ムネ熱

ずっと言ってることだけど、「自己肯定感」は恣意的で空疎な概念だ。

わかりやすく言えば「綺麗事」である。

大前提、「肯定」は「否定」と対でしか存在できない概念であり、「自己肯定」は必ず「自己否定を否定」というパラドクスを生むからだ。

これを「自己容認」と言い換えることをおすすめしたい。

「受容」や「承認」は自分のことを「受」や「承」と表現すること自体に自己外在化のニュアンスが含まれる。
自分と距離をとって外側から眺める努力は時に必要だが、自分はあくまで自分でしかないという感覚を前提とする意味で「容認」を推したい。

そして、自己容認と同時に確立したいのが「世界肯定感」。世界は常に正しい答えを返すという信念である。

この二つの信念体系が何をもたらすかと言うと、以下のようになる。

私は私であることしかできない。好きなところも嫌いなところも「私」の大切な一部である。
私という存在を包摂する世界は正しいのだから、私が存在していることは正しい。
私が望む世界が目の前に無い時、私は私でしかあり得ず、世界は正しいのだから、「私のやり方」や「私の見方」「私の感じ方」が間違っている。
私が私のまま望む世界を得る方法は必ずこの世界に存在している。
世界にとって正しい「私のやり方」を実行すれば、世界は必ずそれに応える。

こう考えると「自己肯定」も「自己否定」は単なる気分の問題に過ぎない。

人間なのだから気分が良い時と悪い時があるのは当たり前で、自己否定を否定する必要も無ければ、自己肯定を礼賛する必要ももちろん無いということだ。
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