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ササミ小路ムネ熱
平和で自由で平等な世界ほど、持たざる者は言い訳できないが故、現実が最も残酷であるという皮肉。
社会福祉は生きづらさを救えないし、救ってはいけない。全ての人民を救わんとするのは社会主義であり、それは努力が報われない世界でもあるからだ。
つまり、「誰もが安寧に生きられる世界」と「努力が報われる世界」は決して両立しない。
近代の遺伝学は膨大な研究により生得的知能を遺伝の影響が70〜80%としており、この圧倒的事実の前に「努力」などという文字は霞んで見える。
遺伝による高い知能という「当たり」を持たざる者にとって、身分制度によって「いくら努力してもムダ」という状況の方がむしろ幸福だったかもしれないということだ。
ここに「夢」という言葉の残酷さが浮かび上がってくる。
などと晴れた土曜の午前中から言ってみる。
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たまむてぃぃ°🍀
私も、、今そんな事をぼんやり 考えておりました。まとまらなかったのですが ハサミさんの文章がそのまま そうそうそれそれ!と思いました。
さぼん🫧
それは思います 「努力不足」「努力でなんでもできる」っていうのは違う 遺伝や環境にみんな最初から差があるのに
꒰ঌ𓆩🤍𓆪໒꒱
エネルギーを注ぐ方向性の問題ですかね。 私の感覚としては「自分は自分」と思えるアイデンティティの確立は18歳前後、さらに自己分析・自己覚知がぐっと進んでいくのが30歳前後(もちろん生活状況や経験によってはこの限りでないと思ってますが)なので、自分のことを理解し認めた上で「なりたい自分になるために」「自分が楽になるために」エネルギーを注ぐのが努力なのかなと思ったりしてます[照れる] ちなみに夢ハラという言葉は初めて聞きました💦