"察する"んじゃなくて、"慮る"のは人として価値のあることだから、ほとんどの人はそういうの頑張ってるうえで、きっとそれが気分や余裕で出来なかったりやったうえで分かりあえてない部分があるってのようやく納得できてきた仕方ないことなんだなって思えてきたらなんだかとっても色即是空