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ササミ小路ムネ熱
【「正論より共感」は正しいのか】
「正論」は、言う側の「正しい」という感覚がどれだけ強くても、言われる側がそれを是認しない限り、「正論」足り得ない。
「正論」は一方的にぶつけることができると思ってる人が多いが、実際には互いの「これが正しいであろう」という「共感」が前提になっている。
具体例を挙げる。
「ハタチで結婚してないとかヤバいだろw」
こう言われて現代日本で「正論をぶつけられた」と思う人はまずいない。
しかし、ほんの100年〜200年前であればこれは「正論」である。
なぜなら、そのころはハタチごろまでに結婚しているのが当たり前の社会だったから。
この例では、社会的常識感を共有している人の間でのみ「正論」が成立することがわかる。
つまり、「正論をぶつけた」人と「正論をぶつけられた」人は、「これが正しいであろう」という感覚を共有する=「共感」が必要不可欠であるということ。
故に、「正論をぶつけるより共感すべきだ」という主張はパラドクス(矛盾した概念)と言える。
「正論」とはそもそも「共感」が無ければ存在できないからである。
コメント
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ギッチ

ネコジ
介護施設は、
介護の費用を割り勘している
腑に落ちる言葉ですね
高野さん、今日も
ありがとうございました
m(_ _)m

💜お〜

ホット7
#ひるのいこい

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風のファンタジーくれ(??)

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今までのキャラの感覚でやったらBOしまくりそう
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ササミ小路ムネ熱 投稿者
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みよたけ
個人的な考えです。 正論に限らず、誰かに意見が伝わると、肯定と否定両方の反応が一定数返ってくるというだけだと思います。 昨今のsnsでは、意見が伝わる相手が不特定多数であり、様々な異なる状況や異なる知識レベルの大勢の人に半強制的に伝わる為、その返ってくる中には、それが理解・共感できない一部の人が多く存在する事になり、それがピックアップされてるのだと思います。 例えば、図書館には多くの異なる正論が本として存在してますが、99%目に入って来ないので、その正論は半強制的に見るつもりが無い人に目に入ってくる事はありません。