結局の所創作物を通して何かを示すという行為は何であれ政治的側面とか宗教的側面を孕んでしまうものだし、そこはそういうものだと思って素直に受け入れるしかなかろう、とは思う(ここでの“洒落臭さ”をどこまで脱臭できるか、は創作者の腕による)
今回カルローズ米をいただいたことによって、今まで当たり前のようにいただいてた日本米の旨さを認識改めて生産者に感謝、そして生産者と消費者双方が納得出来るようなコメ政策をお願いしたいですなかなか難しいだろうけど