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ササミ小路ムネ熱

ササミ小路ムネ熱

後悔とは思い上がりである

後悔とは何か

「過去のある時点の判断に着目し、違う判断をしていれば現状が今より良くなっていたと断定すること」

違う判断をしていれば現状が今より悪くなっていたと断定した時、それは後悔に分類されない

つまりは妄想である

この妄想がなぜ思い上がりかと言えば、現状が自身の潜在能力を下回っているという前提に基づいているから

現状が自身の潜在能力を上回る幸運なものと解釈するなら、現在は過去の判断に助けられて生きているのであり、違う選択をしていれば現状は今より悪くなっていたかもしれないと考えるはずだ

つまり、「こんなはずじゃなかった。自分はもっと価値のある人間だ。自分はもっと能力のある人間だ。もっと運命に優遇されるべきだ」
という思いが後悔の本質である

思い上がりを捨て、幸運に感謝しよう

#ムネアツ心理学
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コメント

灰-𝗛𝗶-

灰-𝗛𝗶-

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私の後悔には三通りあります ササミさんの仰る思い上がり(自分への期待値)後悔 2つ目、完全に努力不足だった…と悔いて反省する後悔 3つ目、思い上がりと反省の合体型後悔 1つ目の場合私は気にも止めません 2つ目の場合、改善します 3つ目の場合、改善し新たなことをチャレンジします 何故3つの後悔があるかと言うと、誰かが亡くなった場合の後悔や心から悔しいと思うことがあるからです

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共学者

共学者

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「こうすればよかった」という妄想の責任が向かう先が「不運」である場合もありますが、「自分の不甲斐なさ」に向かう場合、というか人もいますよね。「その時のベストな判断をしたが結果が伴なわなかった。それまでの自分の努力のやり方だったりを悔いる」というような後悔がモチベーションになっている人も。必ずしも思いあがりは言えないのではという視点です。

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ササミ小路ムネ熱
ササミ小路ムネ熱
ある時点で下した判断Aによって、結果が70点であるとします 仮想の判断Bによる結果が90点であると想定した場合のみ(あえて数字を固定します)、「後悔」が起こります 判断Bによる結果が50点と想定されるなら、「Bにすればよかった」と思う人はいないですよね? つまり、「90点をとれたはず」という前提の上にしか、後悔は存在できません そこには「自分の実力は結果よりも20点上」という思い上がりがあるということです 実際には、結果だけが実力です
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