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#朗読会るぴなす💠

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#夢十夜

先週の企画で小ネタが
いくつかありまして
紹介しきれなかったものもあり
備忘録と想い出として残しておこうと
思います



さて、先週の企画で夢十夜を読んだわけですが
短歌もどきを作るにあたって少し
夏目漱石について分かったことが
いくつかありました

彼、明治の人間でありながら
近代が嫌いだったんですね

それが現れているのが第六夜でした



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第六夜(あらすじ)
『運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから…』
運慶が仁王像を彫っている。その姿を見物していた自分は、隣の男が「運慶は、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」と言っているのを聞く。自分でも仁王像を彫ってみたくなり、家にある木を彫り始めるが、何度やっても仁王は出てこなかった。


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最初読んだときは
森見登美彦みたいな話なのかなと
勝手に捉えていましたが
その実、この作品は漱石自身が
自分を取り巻く国や環境文化に対して
皮肉を込めて書いた
ちょっと思想色の強いお話しというわけです


私の読んだ解説曰く、
明治以降の近代には
仁王を作ったような運慶に並ぶものはおらず
我々は時間的な永遠を前にして
一向に埋まらない空間的な永遠の前に
ただ言葉を失うのみである、と。


ばっと見意味がわからないと思いますが
つまり、決定的な溝があって
埋まらないんだよ、ということなのかと
そう思っています

作品としては仁王という形で
時の試練を超えて時間的永遠を手にしたが
それを作った運慶と、近代(明治)に生きる
彼らの間には、心や精神に大きな距離がある

従って、今この時代(明治)に
仁王を作れる者はおらず
我々は空間的な永遠を前にして
(心の距離とでもいいますか)
無力である事を知る


作中で尻を端折って帽子を被らない男が
無教養の象徴として出てきますが
教育者でもあった漱石からすれば
近代教育の枠組みそのものが
矛盾と不信の対象だったのかも



そんなことを
朗読しながら思いました

次は、第八夜のネタでも書くとしますか。



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