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ゆう(低浮上中)
「生みたいから生む」「生きたいから生きる」、そこに理由はないと私は思います。
生きとし生けるもの全てにおける、本能です。
どんなに気張ったところで、人間も所詮は動物です。
本能のまま、したいことをして生きているだけで、誰がそれを咎めることができようかと、私は考えます。
反出生主義の主張に、
「どうせ不幸になるから、生まれるべきではない」
「人間は欲望に塗れていて、世界にとって害でしかないから、存在すべきではない」
というものがあります。
前者の「生まれると不幸」になるということについて、「生まれること」に因果関係はありません。
そもそも、「不幸」とは何でしょうか?
「不幸」とは、環境や境遇が作り出すものではなく、当人の頭の中の感情から発生するものです。
傍から見てどんなに悲惨な境遇に置かれていたとしても、本人の心の中の感情が幸福感に満ち足りていたなら、その人にとっては幸せということになります。
生まれる命が幸せか否かは生む側が決めることではないのです。
とはいえ、辛い現実ばかり付きつけられていては、幸福感を得ることは容易ではないでしょう。
そこで登場するのが、宗教の存在。
宗教とは、信仰することで救いの手をるという教えのもと、人々を幸福へと導くもの。
話を戻しますが、幸せになるために必要なのは、感情を幸福感で満たすこと。
そのために必要なのは、笑顔でいることです。
どんなことでも楽観し、いつも笑っていられたら、感情を幸福感で満たすことができます。
人間は欲望を満たしたいと思う生き物です。
欲望が満たされないと感じる時、人は感情を乱し、笑顔でいられなくなってしまいます。
あなたがもし不幸と感じるなら、その原因を考えてみてください。
あなたを不幸と思わせている原因は、本当にあなたにとって、生きるために最低限必要なものでしょうか?
もし不必要と感じるなら、それを捨てる方法を考えてみてください。
生きるために最低限必要なものとは、食べる物と、生きる拠点となり、身を守るための住処です。
お金とは、それらを得るために必要なツールに過ぎません。
「人間は害でしかないから存在すべきではない」という考えて方について。
これについてはコメントで
#出生主義 #反出生主義
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森川(無生殖協会)
反出生主義者です。 生まれなかった場合には不幸はありません。何故なら不幸を感じる主体が存在しないからです。 ですが無頭児でない限り苦痛を感じ、死にます。 不幸を感じる主体を生み出し、その主体が必ず不幸を感じる世界に産み落とされたのなら出生に因果があると言えます。 例えば生を与えることは同時に死を与える事になります。 例え通り魔に殺されても老衰でも事故でも根本的な因果は出生にあるでしょう。 これは反出生主義が生まれた事により不幸になると主張する論理の一つです。
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