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二度寝

二度寝

🦭「いろいろ考え事をしていると、自分の思考はいつもこのへんの駅に辿り着くなあ、ということがわかる。今より若い頃は、今より自由に考えているつもりだったけれど、結局パターンがあるのだ。
駆け巡った思考は「相対性」の駅に辿り着きがちだ。
何かを選択する時、どっちを選ぶにしても、どっちを選ぶ理由をいくらでも考えてしまうことができるし、決断というのは、たまたま本人が持っていたあらゆる組み合わせによって生じた偏りの結果でしかないんじゃないかなあ、と思う。
今晩の献立ならまだしも、倫理的な問題についても同型のこととして考えてしまいがちで、たとえば殺人が禁止されている理由を挙げるのと同じように、それを肯定する理屈を考え出してしまう。
中立とは玉虫色の言葉であり、何をどう意見する人も、大抵は自分のことを中立的だと思っている。自分の考えが両極端の真ん中だと思っているのだから、中立という言葉自体に意味はない。
そういう意味では自分を中立的な人間だと思っているけど、同時に、自分の思考が大きく偏っており、全然真ん中ではないことを自覚してもいる。僕は「何かがそうあるべき理由」にこだわりすぎる。こだわりすぎているがゆえに、殺人ですら言葉の上で簡単に否定できない。どうとでも言えてしまう、と思う。それを表明することは、僕の中の倫理に照らすと罪深いことのように感じられる。
これは、自分が嫌だと感じることを根拠にして、何かを言うのが下手だということでもあるし、意志決定が合理的にできるという幻想を信じすぎているということでもある。
そして、この皮を剥がしてみれば、ごくごく平凡な善性しか持っていない。当たり前に戦争は反対で健康は最高と思っている。でも、その感覚の素朴な発露を恥じて、あるいは悪だと思ってしまっている。そして考えれば考えるほど、電車は相対性の駅に近づいていく。
今後はそれを自分の傾向性だと割り切った上で、どう使うか考えていこう。
少なくとも、この偏りを、世間一般の「語り口」に同化させる筋合いはない。」
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