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マミ
1818年2月6日
探検家
地名北海道名付け親の誕生日🎊
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HAL900.0
あき🏳️⚧️
回答数 53>>

臼井優
主な誤算として、以下の点が挙げられます。
1. 「清く正しすぎる」政治への固執(対田沼政策)
前任の田沼意次が賄賂政治や重商主義的政策を行ったのに対し、定信は家康や吉宗の時代を理想とし、質素倹約を強制しました。
誤算: 江戸の町は飢饉からの復興過程にあり、経済の冷え込みを招いたため、庶民からは「白河の清きに魚の住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」と皮肉られました。
2. 天明の大飢饉・天災への対応力不足
天明の大飢饉の直後に老中となり、飢饉への対応が急務でしたが、経済対策が旧態依然としたものでした。
誤算: 納宿(年貢を扱う中間業者)の廃止を試みたが、実際の事務能力がなく、結局元の利権構造に戻してしまうなど、実務面での不備があった。
3. 将軍・徳川家斉との不仲(政治的孤立)
松平定信は11代将軍・徳川家斉を補佐しましたが、次第に家斉の親政を阻む「厳しすぎる上司」となり、関係が悪化しました。
誤算: 将軍家斉が実父に「大御所」の称号を贈ろうとした際に、定信が「隠居した将軍以外に大御所は許されない」と反対したことが決定打となり、失脚の直接原因となりました。
4. 時代変化を読み違えた文武奨励・異国船対策
定信は極端な倹約を推奨しましたが、18世紀後半の江戸の成熟した文化や、外国船が来るようになった国際情勢への対応において、現場のニーズとズレていたと指摘されています。
結論
松平定信自身は非常に優秀で「良臣」であろうとしましたが、理想が高すぎ、融通が利かなかったこと(「曲がったことが嫌い」な性格)が、結果として「誤算」となり、6年という短い改革期間での失脚(1793年)に繋がりました。

すかい🍉🍡🍒💫
―――ヴェーバー 「職業としての政治」
塩分
この皮肉な対比は、現代社会の歪んだ「優先順位」を浮き彫りにしています。
私たちは子供の頃から「赤信号で止まらなければ死ぬ」と徹底的に教え込まれます。それは物理的な生存に直結するルールだからです。しかし、社会のハンドルを誰に託すかを決める「選挙」という生存ルールについては、驚くほど無頓着なまま大人になります。
社会を構成する一員として、安全な社会を次世代に引き継ぐという責任を果たすためには、社会のルールを理解し、適切に行使することが不可欠です。その最たるものが選挙であり、特に日本の選挙制度である小選挙区比例代表並立制への理解は、大人の責務と言えるでしょう。
これらの選挙制度の仕組みや、各候補者・政党がどのような考えを持っているのかを知らずに、「政治が悪い」と無関心を装うことは、社会を構成する大人としての怠慢と言わざるを得ません。情報へのアクセスは容易であり、スマートフォン一つあれば、候補者の経歴や政党の公約を短時間で調べることができます。そのわずかな努力を怠り、自らの、そして次世代の未来を他者に委ねることは、大人としての責任放棄と言えるでしょう。
社会の運営に関心を持ち、自らの意思を表明することは、民主主義社会を維持するための大人の重要な責務です。

まっきー提督
確かに言われてみればそらそうだよな、走ってる地域が明らかに中越だもんな

ナントカナル
本日の天気は
北海道を通過する低気圧が急発達🌀☃️🌨️
東北の日本海側や北陸は雨が雪に☂️→☃️
関東以西の太平洋側は気温高め☀️
皆様素敵な1日になりますように🙏
#おはようGRAVITY #イマソラ

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きゃっ


みそら

志賀慎

アナ
ありのままで 空へ風に乗って
ありのままで 空へ風に乗って

ヒキワ

せ一ι
面白そうなのあんまりない
見そうなのは、おそ松さんくらい

🍓ゆり

爆速流

🦒𝑺


RE:Rise Ve
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