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重めのジョナサン

重めのジョナサン

なぜ私たちは、
だめな人を好きになってしまうのだろう

なぜ私たちは、
だめだとわかっている人を、
それでも好きになってしまうのだろう。
傷つけられるとわかっている相手。
大切にされないと知っている関係。
頭では理解している。
それでも、心や身体が、なぜか先に動いてしまう。
この問いは、しばしば恋愛の失敗談として処理される。
「見る目がなかった」「自己肯定感が低かった」。
確かにそれらは一理ある。
だが、それだけでは説明しきれない執着が、そこにはある。
ここには、理解や意味づけの手前で働く力がある。
人は、説明できる前に反応してしまう。
不安や緊張、期待と失望が繰り返される関係は、
理由とは無関係に、感情を強く結びつけてしまう。
それは選択というより、反射に近い。
心が考える前に、身体が覚えてしまうことがある。
だが、私たちが惹かれる「だめさ」は、
それだけで説明できるほど単純ではない。
そこには、いくつかの衝動が重なっている。
ひとつは、好奇心だ。
とくに若い頃の恋愛は、理解よりも接近から始まる。
未知であること。
不安定であること。
危うさを孕んでいること。
それらは感情を強く揺らす。
「普通ではない」というだけで、人は惹かれてしまう。
それは愛というより、探索に近い。
もうひとつは、逃避だ。
社会に出たあと、恋愛はしばしば現実からの避難所になる。
成果、評価、競争、役割。
それらから一時的に降りられる場所として、恋愛が選ばれる。
このとき私たちは、
幸せよりも、理解できる苦悩を選んでしまう。
退屈よりも、意味のある痛みを。
だが、好奇心や逃避の奥には、
さらに深い構造がある。
それは、価値を自分の外へ持ち出してしまうことだ。
私は何者か。
私は価値があるのか。
私はここにいていいのか。
その問いに自分の内側から答えられないとき、
私たちは価値を外に探し始める。
恋愛は、最も手軽で、最も強度のある外部価値になる。
私よりも関係。
幸せよりも役割。
生きる実感よりも、必要とされている感覚。
価値を外に置くということは、
同時に、思考を止めるということでもある。
自分は何を望んでいるのか。
どんな人生を生きたいのか。
何を選び、何を引き受けるのか。
それらの問いは、本来、自分自身に向けられるべきものだ。
だが価値を相手との関係に預けた瞬間、
主語は、いつのまにか「私」ではなくなる。
相手がどうか。
関係がどうか。
必要とされているか。
関係を破綻させやすい特性を持つ人との恋愛は、
この思考停止を許してくれる。
なぜなら、その関係がうまくいかない理由は、
すでに相手の側に用意されているからだ。
私は自分の人生を問われない。
幸せを決断しなくていい。
こうして価値は、相手とのあいだに集まり、
やがて「役割」という形を取る。
私たちが惹かれる「だめさ」は、
多くの場合、自分の過去と共鳴している。
より自分が無力だった頃。
理解されなかった記憶。
守られなかった感覚。
そのときに負った傷が、
相手の未熟さや欠落に反応する。
「この人は、あの頃の私だ」
言葉にならないその感覚が、好意として立ち上がる。
そして私たちは、無意識に役割を引き受ける。
支える人。
待つ人。
理解する人。
傷つけない人。
一見、それは優しさに見える。
成熟した愛のようにも見える。
だが多くの場合、それは愛ではなく、再演だ。
忘れてはならないのは、
「忘れられない人」という言葉の正体だ。
忘れられない人とは、
いまも愛している人ではない。
多くの場合、終わらせられなかった自分自身だ。
未完成であること。
途中で断ち切られたこと。
十分に理解されなかったこと。
選ばれなかったこと。
結末を持たない関係は、記憶の中で生き続ける。
そこでは、役割だけが固定されている。
理解する人。
待つ人。
報われない人。
相手はもういないのに、
役割だけが、内側で生き続ける。
重要なのは、
役割は愛の出発点ではないということだ。
寄り添い、助け合い、尊重し合う日々の中で、
その都度、立ち上がっては消えていくものだ。
最初から役割を背負う恋愛は、生きた関係ではない。
それは関係性ではなく、構造になってしまう。
私たちは愛したいのではなく、
「あの頃の自分を救う役」を演じてしまっている。
それは弱さではない。
生き延びるために身につけた、ひとつの方法だ。
だが、自分の傷に落とし前をつけられるのは、
やはり自分だけだ。
誰かを救うことで、
過去の自分が救われることはない。
愛とは、
あの頃の自分を演じ続けることではなく、
いまの自分として、ここに立つことなのだと思う。
だからといって、
恋愛を重たいものにしたいわけではない。
人は出会い、しばらく一緒に過ごし、
思い出を作って、そして別れる。
それだけのことが、人生には何度も起こる。
最初から恋人やパートナーを目指さなくてもいい。
足りないまま関わり、
そのときどきの距離で、互いに触れていけばいい。
終わった恋に過剰な意味を与えなくても、
それはちゃんと、そこにあった。
そして同じように、
これから始まる恋愛や、恋愛そのものにも、
あらかじめ大きな意味を背負わせなくていい。
出会いは、何かを完成させるためでなくてもいい。
ただ、ある時間を一緒に生きること。
それだけで、十分なこともある。
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