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ずっと家にいたい
抗生物質飲んでも少し良くなってまた悪化しての繰り返し…
体質で漢方は飲めない🤷🏻♀️
いや、分かってるんです。
いちばんは生活改善なんです😂
でも夜勤だと中々ね…
でも生活自体は10年以上変わってないのに
なんでここ半年ほっぺだけ…?
マスクしてないといくらかマシになるけど
職場ではしてないとだしなぁ…
皮膚科にも、抗生物質飲み続けるのもあんまり良くないから
皮脂自体を改善する薬?(ちゃんと説明してもらったけど忘れた😂)も視野に入れよっかって言われて
月に2.3万はいいけど、
定期的に通えるだろうか問題🤔
コメント
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ゆりな
2025年も残りわずか 帰国🇬🇧🇯🇵
私には1月に決めた目標があります
一年で水泳🏊♀️で100km泳ぐ!
10月くらいに目標達成しました!その後どこまで行けるか泳ぎ続け
122km!!
頑張った٩(๑˙╰╯˙๑)و
8.9.10月の登山にハマった時期はちょっと少ないけど、やりたい事が出来るのは幸せな時間ですね
#フィッシュアンドチップス
#ピニャータ
#アーセナル





れん

bg
はじまりは、ハンガリー動乱の犠牲者への純粋な追悼だった。教師の前で2分間の黙祷という軽率な行動に出たのは若さゆえのあやまちだったかもしれないが、とはいえ、そんな些細な出来事にすら当局が神経を尖らしていたほど、当時の東ドイツは息苦しく自由がなかった。生徒たちは当局の執拗で姑息な“反乱分子”の首謀者探しにより追い詰められていく。
10代がはるか昔となった自分には、もはや若者たちの親の視点でしか観られなかった。がんじがらめの社会主義体制を受け入れているように見える大人であっても、それぞれに戦争の傷があり葛藤があった。たとえ嘘をつかせても子供を守りたいという気持ちはどの親にもあったはずだけど、この問題の発端をつくった子(クルト)の母親が言った「この国から逃げなさい。毎日、毎分、いつも思っているから」という言葉にはひときわ心を動かされた。勇気があり、優しさがあり、愛が詰まった言葉だった。この子とはもう二度と会えないかもしれない。それでもこの子のためには逃げてもらうしかない。そういう覚悟のあらわれだった。
退学が決まったクラスメイトたちを前に、クルトの親友テオは逃亡を呼びかけ、「国を出るか残るかは自分で決めるんだ」と各自に判断を委ねた。そんな大人びたことを口にしたテオも、西側に逃亡する日の朝、家族との別れには涙をこらえきれなかった(し観ている方も泣いた)。邦題の通り「希望」を感じさせる終わり方ではあったけど、払った代償はあまりにも大きかったのではないか。
さて、もし自分が彼らの親だったら、あるいは未来ある子供たちの立場だったら、どうしていただろうか。即答が難しい、重い問いだ。


あるにこぴん
死ぬ
レイ
ゴロゴロして気持ち悪い

みや
見た人いいねで勇気ください!!!
#勇気のいいね

ぽっけ
何ヶ月ぶりかに超平和な夜勤だったので、やっぱり溺愛テンプテーション聞いて帰ってきたよねありがとう寿嶺二🪇

納豆Lv99
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はせし

なおに

開源🐴
来年は7thから始動予定
ただし、やぶしまさんの個人イベが生えてきたら参戦します

たなか

じゅら

そな*6

ぽめ
データがブラックボックス化されてるから、判別も出来ないし、まじでタチの悪い宗教と変わらない。

了ノレ

ゆうり

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こんにちは! もう試したかもですがビタミン剤飲んでみてはいかがでしょうか?