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もず
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とあ

呑太

サラマンダー
今朝も冷えますね。今が一年で一番日が短い時期です。
復興工事に携わる皆さん、寒い中ご苦労様です。作業ご安全に🙏
お休みの皆さん、素敵な土曜日をお過ごし下さい。
Have a great Saturday everyone!




カズト
強調されるよね。

コンコン
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パフェ

ミヤマ(

天狐

ミレ

双葉🌱

はな🐹

のびた
どこでもドアがあれば!
昔は良く聞いたものだが、最近耳にしないのは自分が大人になってしまったからだろうか。
コロナを経て、リモートでのコミュニケーションが一般的になった。
それ以前にもテレビ電話はあったが、
テレビ電話は合うための代替手段というよりは
「電話なのに顔も見えちゃう!」という印象だった。
ネットワーク上でのリモートが
会うための代替手段として広く認識されるようになったのは
最近なのではないだろうか。
声フェチである私にとって極、個人的にではあるが、
電話とテレビ電話は全くの別物だ。
夜中ベッドに転がって朝方まで何というわけでもない会話をしていた記憶
その時耳を通して伝わってきていたものは
テレビ電話では得られないものだった。
神経を耳に集中し、ただ一つの穴から
ただ一つの器官でそれを自分の中へ浸透させてゆく。
美味しいものを口にしたとき
つい、目を閉じて咀嚼してしまうそれに近しいものがある。
種々のSNSが跳梁跋扈し
人と人との交わりが複雑怪奇に入り乱れる中で
ネットワークを介した交流は隆盛を極めている。
しかし
そこにはやはり
「会いたい」と思う感情が存在する。
「会いたい」
ご存じの通り文字を紡ぐのが好きである。
実際に口に出して会話するよりも
おそらくはこちらの方が得意であるくらいに、
実際のコミュニケーションは不得意である。
声フェチである。
先に書いた通り、耳からの摂取を好む者である。
だが
それでも
人に「会いたい」と思うのは何故なのだろう。
文字で伝えるよりも
耳を溶かすよりも
人に相対したいと思うのは何故であろう。
会うための代替手段である
テレビ電話ではダメなのは何故であろう。
苦手であるのに。
もちろんそこには
「触れたい」という抗い難き感情があるのは確かだが
それ以上に現実感を、リアルさを求めているのではないか。
相手の存在証明は自分の存在証明足り得るのだ。
そこにいること、が重要だ。
近い未来、VRであたかもそこにいるかのうような会合も可能であろう。
ただ、やはり
どこでもドアには敵わないのだ。
子どもの頃よりも必要なのはむしろ大人になってならなのだ!
たすけてー!
ドラえもぉぉぉぉん!

ドラえもん

霧沙
まだどんな内容かも分からないけれど、11人誰も欠けて欲しくないです

パフェ

めしょ
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