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もけけのす

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日本は10代を神と置いているのか?日本は10代を神と置いているのか?

回答数 39>>

子供が神の如く扱われることについて考えてみる。古くは柳田國男から「七つ前は神のうち」と呼ばれ、幼子は神に近いとされてたという古来からの信仰があった、という「俗説」がまことしやかに囁かれていたが、近年その説は否定されている。子供を神に近い存在とした信仰体系は日本に存在しない。むしろ近代の後付けである。近藤真琴という研究者はこれを教育という切り口で説明した。本来、子供への社会の関心とはごくわずかなものであったが、明治以降、子供たちへの教育が重視されるようになり、やがて、「子供たちの自主的な学習」が重視されるようになり、親たちの強制ではなく、子供たちの自発性を尊ぶが故に「親たちの視線が常に子供達に注がれるようになる」状況が成立し、そこに子供を中心とした形に家族そのものが再編されていったのだ。かくして子供たちは「大人たちを振り回す」聖なるチカラを手に入れた。その観点から見ると、異形能力を持つ子供たちの舞台の多くが「学園」なことも意味を持ち始めるのではないか?とも思う。
逆に言えば、アメリカのおける教育とは日本におけるそれとは異なり、社会そのものにより深く根ざしており、未完成な子供達を「仕上げて」国民にしていく過程とも取られられないだろうか?だからこそ、成熟した完成品たる大人たちがチカラを振るうのだ。
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もけけのす

もけけのす 投稿者

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渾身の回答なのに何にもウケてないの悲しいぞ

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子供が神の如く扱われることについて考えてみる。古くは柳田國男から「七つ前は神のうち」と呼ばれ、幼子は神に近いとされてたという古来からの信仰があった、という「俗説」がまことしやかに囁かれていたが、近年その説は否定されている。子供を神に近い存在とした信仰体系は日本に存在しない。むしろ近代の後付けである。近藤真琴という研究者はこれを教育という切り口で説明した。本来、子供への社会の関心とはごくわずかなものであったが、明治以降、子供たちへの教育が重視されるようになり、やがて、「子供たちの自主的な学習」が重視されるようになり、親たちの強制ではなく、子供たちの自発性を尊ぶが故に「親たちの視線が常に子供達に注がれるようになる」状況が成立し、そこに子供を中心とした形に家族そのものが再編されていったのだ。かくして子供たちは「大人たちを振り回す」聖なるチカラを手に入れた。その観点から見ると、異形能力を持つ子供たちの舞台の多くが「学園」なことも意味を持ち始めるのではないか?とも思う。