共感で繋がるSNS
GRAVITY(グラビティ) SNS

投稿

△きいう

△きいう

目の前には、何もないはずだった。
けれど暑さが変わるたび、そこに「何か」がある気がしてならなかった。
空気──その存在を僕が確かに「ある」と思えたのは、
見たからではなく、「変化」を通してだった。

風船がなければ気づけなかった時代の人たち。
僕は風船を持っていなかったけれど、暑さという肌感覚を持っていた。
科学は観察から始まるというけれど、きっと「違和感」からも始まる。
そして違和感は、世界と自分の境界線を揺らす問いを生む。
GRAVITY3
GRAVITY18

コメント

△きいう

△きいう 投稿者

0 GRAVITY

このとき、僕の中に「何かを確かめたい」という静かな衝動が生まれた。 それは正解を知りたいというより、「今起きていることの奥にあるしくみ」を見たいという願いだった。 たとえば──なぜ距離があるものが見えるのか? なぜ匂いがふいに届くのか? なぜ触れていないのに冷たいと感じるのか? そういう問いが、次々と湧いてきた。 学校で習った理科の知識よりも、 身の回りの現象の方がずっと鮮烈だった。 教科書に出てくる「例」ではなく、 僕の生活の中にある「なぜ?」が、 僕を知りたい気持ちに駆り立てた。

返信
△きいう
△きいう
そして、いつか思った。 「見えないものを信じるには、何が必要なんだろう?」 その問いは、今も僕の中に残っている。 見えないものが「ある」と言えるには、何かしらの手がかりが要る。 風船がふくらむのを見て、人は「空気がある」と思えた。 煙が風に流されるのを見て、「風の向き」がわかるようになった。 でも僕は、自分の肌が感じる微妙な温度差や、 窓を開けたときに部屋の空気が動く感じ── そういうものが“証拠”だった。 つまり、「感覚」は思考の入口になる。 それはたぶん、どんな科学者にも共通する、 世界とつながる原点だと思う。
0 GRAVITY
——さらに返信を表示(1)
話題の投稿をみつける
関連検索ワード

目の前には、何もないはずだった。