ほぼずっとですね。友達以上にならないこと、二人きりにならないこと、という前提でのお付き合い以上はもうできないものだと思ったほうがいいですね。多くの場合、『もう終わりにしましょう』だと角が立つから、オブラートに包んで『距離を置きましょう』という表現をすると思います。なので、距離を置くという表現が出てきたらもうそこから変わることはないものと思って、次の出会いを探したほうがいいと思います。わずかでも可能性があるんじゃないかと勘違いすると、トラブルになりかねないので⋯⋯
距離を置くにせよ、置かれるにせよ、なんらかの出来事があってのことでしょう。「脳の処理」だけなら数時間から数週間ほどで、「出来事」は過去へと処理されます。「心理的距離」が空いていますが、これには個人差がありますし、「出来事」の程度にもよります。PTSDを伴えば、深刻なものであれば一生かかっても過去へと処理されることはありません。質問者さんが「距離を空けた側」であれば、記憶が風化して、距離を空ける理由が不鮮明になった頃が適切な時間となりそうです。質問者さんが「距離を空けられた側」であれば、「ただ待つ」が正解です。こちら側からのアクセスタイミングを、こちら側で測ることはできません。「距離を空けられる」というのは、およそ何らかの「被害者意識を与えた」ことによるものかと推測します。追わず、そっとしておくのが、(客観的事実がどうであれ)せめてもの贖罪となります。