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食べるために動物の命を奪うとき、慣れていない人ほど強いストレスや罪悪感を感じることがあると思います。 こうした心理的障壁はどこからくるものでしょうか?

冬寂

冬寂

親はよく鶏をつぶしてたが、現場を見たことはない。捌くのを見るのは平気だったが、長じるに従い、苦手になった。
「他者の痛み」や「残酷さ」は、アポステリオリに挿入されるらしい。
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キラ・ヤマト

キラ・ヤマト

イメージの違いかな
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すぴってグッボイ

すぴってグッボイ

ありがとうよりもごめんなさいが口癖の人
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貴

慣れ
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チィーエア

チィーエア

食べられる動物の解体をした時の血肉が飛び散る時や肉となる事実を受け入れるか受け入れないかで心理的障壁が出来ると思います。

銀の匙では育てた豚が解体されて帰ってきたシーンありますけど、今思えば残酷に思えます。

でも畜産業では当たり前ですし、その差なのではと…
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にみ

にみ

相手の立場や感情を考えるという社会性から?
回答あってるかなあ…
ちなみに、殺すのに慣れる(というか麻痺する)のは家畜動物等に限らず確か戦場の人殺しも一緒のはず。
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みきや

みきや

想像力が乏しいか、自己暗示の如く自分を正当化して生きている人間、そしてそれらの自覚がない人間
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マックス

マックス

甘さ
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ケイ

ケイ

生命の可能性を奪った責任感。
肉が平気なのは既に可能性が無いから。
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コーユー

コーユー

私は、この心理的障壁の正体は
文化・教育・そして豊かさにあると思っています。

質問の中にすでにヒントがあります。
「慣れていない人ほど」と。
つまり鍵は“慣れ”です。

では、その慣れはどこから来るのか。
それが文化であり、教育であり、社会の豊かさだと考えます。

例えば、動物を食べるために命を奪う場面が日常にある文化では、それは「当たり前」の営みです。そこには罪悪というより、儀礼や敬意があることもあります。

一方、現代の豊かな社会では、私たちは屠殺の現場から遠ざかっています。動物はキャラクターになり、「かわいい存在」として描かれます。そうした文化や教育が、命への感受性をより強くしているのだと思います。

さらに、生存が切迫している状況では、罪悪感よりも生きることが優先されます。
生存圧が下がり、余裕が生まれた社会だからこそ、倫理の範囲が広がり、動物にまで思いを向けられるようになったのではないでしょうか。

もともと人間には共感の力があると思います。
ただ、その共感がここまで拡張されるのは、豊かさという土台があってこそ。

だから私は、このストレスや罪悪感はある意味で「豊かさの象徴」でもあるのではないか、と考えています。
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