あなたにとって 信じる とは?
少し自分語りと恥部をさらしますが、長い間、信じるってなんだと思っていました。こうなるだろうという予測と、そうなった事実とそうならなかった事実、そうなるだろうと予測できている原因と、予測できなかった要因で予想した事実になるか、そうならないか それだけで、あなたがそう行動すると信じるという行為に意味も必要もないと感じていました。
が、実現できるかわからない、現状からじゃできると言い切れはしない けど、そうなりたい から そうなれることを信じる。 信じるという行為が、行動する元気をくれるのだと今日思いました。 私にとって 信じる は、不安を払い今の地点から前に進むのに役立つ行為だ と今思っています。 あなたにとって「信じる」はどういうもの、または行為ですか?よろしければご意見を記載ください😊

くろ

ヤニカス
思想を取り入れる(信念)とか誰かを頼りにする(人を信じる)とか、色々ありますが……
本文から、ある予測を「信じる」という面に限定してみます。
一言で言えば「思い込む」ことでしょうか。
推測や論証を一度やめて、真だと思い込む。
良い面も悪い面もあると思います。
(以下は蛇足です)
私の好みの話をすれば、あまり好きじゃない言葉だなと思います。嫌いと言ってもいいかもしれません。
無限に枝分かれする可能性の取捨選択をすることには、間違いなく意思決定において重要な意味があると思います。
けれど私は(ある予測が)そうなると「信じる」と言う時に含まれる運命的なニュアンスを好みません。
可能なら「覚悟をする」と言い換えたい。
どうせ思い込むのなら、主体的な行動によって何かが変えられると思い込みたい。
上手くいかなかった時に、理由が運命ならどうしようもありません。そこにあるのは絶望だけ。
でも自分の行動なら、変えられることがどこかにあるかもしれません。まだやりようがある、希望がある。
言葉遊びかもしれませんが、そう思いました。

カク
俺はこれまで、自分しか信じたことがない。
結局、結果も責任も最後は自分に返ってくる。
人を信じても、最後に立つのはいつも自分だから。
その覚悟だけは、ずっと手放さずにきた。
でも、歳を重ねるほどに思うんだ。
自分を本気で信じて生きていると、少しずつ“信じてもいい”と思える人や仕事に出会える。
それは依存でも期待でもなくて、同じ方向を見て歩ける相手。
信じるって、強さの中にある優しさなんだと思う。
だから俺はこれからも、厳しくあっても温かくありたい。
そういう生き方をしていきたいんだ。
自分を信じてみて、自ずと同じ考えの仲間が増えて行くから。

taka
正しい/誤りはともかく、「月に行く」と目標を立て、その実現を信じることが全てのスタート。
その先が欲しいから信じる、という感覚です。
そこから、月面はこうなっているから宇宙船はこう作ろう、物資は何を積もう、それだけの重さのものを飛ばすには...と試行錯誤がはじまり、仮に月に行けなくてもその過程は無駄にならないから
という理由で何かを信じることが多いです。

軸

えびふら🍤

🩵

まくすうぇる
たとえば誰かを信じるとき、
その人がそうしてくれるだろうと予測ができておおよそその通りになることが多い場合
そうなるだろうという予測が繰り返されるうちに、その思考は省略されるようになるとおもう
その思考の省略が信じるであり
意識的に信じるときもあれば、
無意識に信じてしまっていて後から予測がはずれて勝手に裏切られた気分になったりもするだろうし、
実際は思考の省略ができるほど安定した予測的中率ではないが、期待の意味を込めて「信じる」と言うこともあるだろう
大事なのは信じるという選択肢を自分自身が自分の選択によって選んでいるという点で
信じているのに裏切られたと感じるときは自分の選択のミスであるか選択のコントロールを失っていたからだってこと
guro

クラブ
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