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「テセウスの船」や「スワンプマン」についてどのように考えますか?

•テセウスの船 部品をすべて取り替えた船は、同じ船なのか。 •スワンプマン 雷で自分の完璧なコピーが生まれた時、それは自分か。
you

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面白い思考実験さね
だが個人の見解は必要でないと考える
解は出すべきじゃない、意見は持ってもいいけど、そして自分の意見と他者の意見をすり合わせることの楽しさを味わえ?
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浮田(うきた)

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自分自身にとって「おばあちゃんにとって孫はいつまでも孫」に近いものを感じていて。

「テセウスの船」も、パーツの大半が変わってからも「テセウスの船」のままと感じるのではないかなと思ってます。

その物体もしくは人の名前が変わらない限り、名前から最初に残った印象がそのままずっと反映されるみたいなイメージです。
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もか

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【テセウスの船】
 テセウスの船を少しずつを修復していき、その度に少しずつ部品が新しくなっていき、完全に全てのパーツが新しいものに交換された時それは元のテセウスの船と同じと呼べるのか、という話だと認識しています。

①テセウスの船を直す人や使っている人が部品が差し代わっている間もテセウスの船としてその物体を認知し愛着をもって接していた場合は、完全に全ての部品が新しくなってもその船はテセウスの船と言えると思います。

②少し別件ですが、テセウスの船はどの部分をもってテセウスの船と呼ばれているのか、そのテセウスの船のトレードマーク?的な、核のようなものが新しい物になり変わってしまった時は、人によってはテセウスの船ではない、となる人もいのではないかと思います。

【①について】
もしテセウスの船のことをめちゃくちゃ大切にしている人が少しずつ傷んだ部品を買って取り替えて修復しているのだとしたら、たとえ全てが新しくなっても、それは直した人にとっては紛れもなくテセウスの船だと思います。大事に大事に、壊れかけてもずっと使えるように直してきたとしたら、その人にとっては新しいパーツさえも自分が今まで大切にしてきたテセウスの船の一部になっていると思います。
また、直してる間にずっとテセウスの船として乗ったり使ったりしていた人がいたとしたら、その人たちが新しいパーツに取り替えられている間もその船をテセウスの船として認知し、テセウスの船としての役割を担っていると思うので、きっと全てが新しいものになってもその人たちにとっては紛れもなくテセウスの船だと思います。

【②について】
たとえばテセウスの船は船長から代々譲り受けている特徴的な帆が張ってあって、それがテセウスの船のトレードマークだったとします。部品が成り変わった時にその帆が無くなったり変わったりしていたら、こんなのテセウスの船じゃない!となる人はいると思います。
でも人によって、テセウスの船の1番大事な譲れない部分は違うと思うから、その大事な部分が新しい物になり変わっていなければ、他は新しくなってもずっとテセウスの船だと思う人は多いと思います。


とても言語化難しいですが、つまりテセウスの船という物体・物質の問題じゃなくて、人の問題だと思いました。テセウスの船との関わり方によって認知が変わる感じ。
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ジョン・ブル

ジョン・ブル

貴方の問いかけ好き[照れる]
個人的な考えだけど、肉体も精神も我々は連続していない、あとは「ヒト」がどう見るかかなっておもう。
自分も含めて。

肉体は日々代謝されてるし、筋肉も骨も徐々に入れ替わる。
知識や思考も次々と更新されるし、何かの切っ掛けで今までの教養が裏返る事もある。
それを組み合わせて別の個体を作っても、徐々に個は離れていく。

自分は日々変わるものだし、流れない水は徐々に腐る。
変化することが生きることかなって思ってる。
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もくへん (改)

もくへん (改)

こういうの好き~
船だったら物で、スワンプマンなら人だとして考えると
人の方は違いを証明できるものや人がなければ変わらないと思うし、物であれば機能や実用性が変わらなければ同じだと思う。
物質的には同じものや変わったことを証明できない違う人を、人間が見て変わった違うと思うのは
実用性や証明が必要なのではなく、物なら思い入れとか、人ならその人が周囲のどんな人間で形作られるかが問題だからだよな。たぶん
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Michi

Michi

とても良い話
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Michi

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優里の歌ですね!
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陰法師/カゲホウシ

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次はスワンプマンについて考えてみよう。
1987年に哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが提唱した思考実験。沼のそばを歩いていた男が落雷で消滅した直後、そのエネルギーで沼の成分が化学変化を起こし、元の男と全く同じ体組織、記憶、習慣を持つ「スワンプマン」が誕生するというもの。
TRPGなどでも題材にされているね。

私なりに考えると…
沼男、スワンプマンは「元の男ではない」と思う。
成り代わったスワンプマンは、元の男と同様に簡単に死ねる存在ではある。でも、もう男は落雷で死んでいる。
もし男が友人で、スワンプマンになる状況を私が見てしまっていたなら…きっと、男を化け物と呼ぶとおもう。
例え、元と同じ体組織、記憶、習慣を持っていたとしても、受け入れられない。
一度の死を、目撃してしまった時点で、私の中の彼はもう死んでしまっていると思ってしまうから。
逆で考えてみよう、スワンプマンが私だったら?

やはり、受け入れられない。
私は落雷で、死んでしまったのだから、きっと、私はとても落胆するだろうと思う。
自分は母親から人として産まれたはずなのに、この沼から産まれた化け物のような物になってしまった事が、死んだという事実よりも、とても悔やむと思う。

これは、絶対に私自身であり、絶対に変わり得ない事。これが変わってしまったり、無くなる事が何よりも私は恐ろしいのかもしれない。
スワンプマンは、積み上げた人生まで模倣できない。
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陰法師/カゲホウシ

陰法師/カゲホウシ

テセウスの船もスワンプマンも割とおんなじだね?
テセウスの船だけ考えてみよう。

テセウスという船がある。
この船のパーツを1つずつ変えてゆく。
全てのパーツが新しいパーツに置き換わった時…
それは、「元のテセウスの船」と呼べるだろうか?
というヤツだな。

私なりの考えでは、もちろん…
それは「テセウスの船」と呼んでいいと思う。
スワンプマンとなると話は別だけど、私はテセウスの船と呼ぶし、呼ばなければならないと思う。
何故か?それは、名を与えられているから。
名前を与えられているのなら、例え姿形が変わったとしても、それは間違いなく「テセウスの船」だ。
重要なのは、テセウスの船かどうかではなく「パーツを変えた事」を知っている人達が居る事じゃないかな。
「パーツが変わっても、これはパーツを変えたテセウスの船という名を持つ船だと覚えている」

私はきっと、テセウスの船がパーツを変えた事を知っている人達が居なくなって初めて、それはテセウスの船ではなくなると思っている。
「パーツを変える前の本来の姿」が忘れられる事。
それこそ「今のテセウスの船」が「本来のテセウスの船」ではなくなる事だと思う。

知っているからこそ、本当の意味でそう呼べる。
そして時間が経ち、本当の意味が忘れられた時。
変わり続けてきたテセウスの船は、テセウスの船ではいられなくなってしまう。
そう、陰法師は思う。
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くまのプーちん

くまのプーちん

まずこの問題の本質は連続であるかどうかと同値であるかどうかの話だと思う
テセウスの船:連続⚪︎同値×
スワンプマン:連続×同値⚪︎
その上で、例えに使われているのが船という「道具」であるか、ヒトという「人間」であるかがこの問題を複雑に見せていると思う
道具なら機能が同じであれば良いし、人間なら自分との関係性が同じであればどうでも良い
道具の構成要素や機能が同値ならそれは「同一」としてみなされるし、構成要素が変わっても(というか生物は日々物質レベルで入れ替わっている)自分との関係性が連続的に維持されていれば「同一」として扱われる
なのでこの問題は人間をどこまで「道具」と見なし、道具をどこまで「人間」のように感じるかという個々人レベルの価値観の話に帰着する

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