「テセウスの船」や「スワンプマン」についてどのように考えますか?
•テセウスの船
部品をすべて取り替えた船は、同じ船なのか。
•スワンプマン
雷で自分の完璧なコピーが生まれた時、それは自分か。


太陽
コレが本質です

釣りパパ 陸戦型
脳核さえあればその人と物語の中では定義されています。
さて、テセウスの船ですが、テセウスの船たらしめている物事はなんでしょうか?
テセウスの船という存在を五感で触れることが出来ることに意義があると思いませんか?
改修を繰り返す目的は、その存在を残したいからですよね。
改修記録がありさえすれば、その存在の証明になりはしないでしょうか?
つまり、全て改修をしてオリジナルが無くても、存在意義はあると思います。

まさたか†
スワンプマン:見た目だけが似ているだけである可能性があります。中身も同一人物なのかは科学的にも精神的にも精密な検査をしないと不明ですね。

うに
スワンプマンもまた、最近の私は「自分」という概念を環境の中で周りとの関係性によって生じた経験則の寄せ集めの依代を「自分」と称して公理的に生み出した本質だというイメージで考えているので、正味「自分」はどこからどこまでを指すの言葉なのかと聞かれて納得のいく答えを出すことは不可能に近い時点で、自分のコピーを自分として認識するのかと聞かれたらどのタイミング(秒か、さらにそれ以下の単位)での自分自身のコピーか、何を経験したか、何を思ったか、何を通してものを語るか等微妙な差異が生じた瞬間すでに自分ではないけど自分として認識しておきたいという不条理に与えられた輪郭を「自分」だと捉えていたに過ぎなかったという認知バグに気づいてしまいそうな気がします。
人が対象を観測する時ってその対象を理解するために一旦自分の経験則というフィルターを通さないと観測できないので、その時点でモノの本質ではなく過去の自分を見ているに過ぎないんじゃないかとは思いますね。ニーチェの有名な言葉で「深淵を覗く時〜」っていう有名な言葉がありまして、本来は悪や未知の探究の危険性を指している言葉ですが、私はその言葉に「深淵を覗く時、深淵をどう覗きたいかという個人の人格、知のバイアスが顕になる。(=深淵も覗き返している)」という意味が含まれているのでは?と一時期勘違い()していたのを思い出しました。

you
だが個人の見解は必要でないと考える
解は出すべきじゃない、意見は持ってもいいけど、そして自分の意見と他者の意見をすり合わせることの楽しさを味わえ?
浮田(うきた)
「テセウスの船」も、パーツの大半が変わってからも「テセウスの船」のままと感じるのではないかなと思ってます。
その物体もしくは人の名前が変わらない限り、名前から最初に残った印象がそのままずっと反映されるみたいなイメージです。

もか
テセウスの船を少しずつを修復していき、その度に少しずつ部品が新しくなっていき、完全に全てのパーツが新しいものに交換された時それは元のテセウスの船と同じと呼べるのか、という話だと認識しています。
①テセウスの船を直す人や使っている人が部品が差し代わっている間もテセウスの船としてその物体を認知し愛着をもって接していた場合は、完全に全ての部品が新しくなってもその船はテセウスの船と言えると思います。
②少し別件ですが、テセウスの船はどの部分をもってテセウスの船と呼ばれているのか、そのテセウスの船のトレードマーク?的な、核のようなものが新しい物になり変わってしまった時は、人によってはテセウスの船ではない、となる人もいのではないかと思います。
【①について】
もしテセウスの船のことをめちゃくちゃ大切にしている人が少しずつ傷んだ部品を買って取り替えて修復しているのだとしたら、たとえ全てが新しくなっても、それは直した人にとっては紛れもなくテセウスの船だと思います。大事に大事に、壊れかけてもずっと使えるように直してきたとしたら、その人にとっては新しいパーツさえも自分が今まで大切にしてきたテセウスの船の一部になっていると思います。
また、直してる間にずっとテセウスの船として乗ったり使ったりしていた人がいたとしたら、その人たちが新しいパーツに取り替えられている間もその船をテセウスの船として認知し、テセウスの船としての役割を担っていると思うので、きっと全てが新しいものになってもその人たちにとっては紛れもなくテセウスの船だと思います。
【②について】
たとえばテセウスの船は船長から代々譲り受けている特徴的な帆が張ってあって、それがテセウスの船のトレードマークだったとします。部品が成り変わった時にその帆が無くなったり変わったりしていたら、こんなのテセウスの船じゃない!となる人はいると思います。
でも人によって、テセウスの船の1番大事な譲れない部分は違うと思うから、その大事な部分が新しい物になり変わっていなければ、他は新しくなってもずっとテセウスの船だと思う人は多いと思います。
とても言語化難しいですが、つまりテセウスの船という物体・物質の問題じゃなくて、人の問題だと思いました。テセウスの船との関わり方によって認知が変わる感じ。

ジョン・ブル
個人的な考えだけど、肉体も精神も我々は連続していない、あとは「ヒト」がどう見るかかなっておもう。
自分も含めて。
肉体は日々代謝されてるし、筋肉も骨も徐々に入れ替わる。
知識や思考も次々と更新されるし、何かの切っ掛けで今までの教養が裏返る事もある。
それを組み合わせて別の個体を作っても、徐々に個は離れていく。
自分は日々変わるものだし、流れない水は徐々に腐る。
変化することが生きることかなって思ってる。

もくへん (改)
船だったら物で、スワンプマンなら人だとして考えると
人の方は違いを証明できるものや人がなければ変わらないと思うし、物であれば機能や実用性が変わらなければ同じだと思う。
物質的には同じものや変わったことを証明できない違う人を、人間が見て変わった違うと思うのは
実用性や証明が必要なのではなく、物なら思い入れとか、人ならその人が周囲のどんな人間で形作られるかが問題だからだよな。たぶん

Michi
もっとみる 






