私は家族の愛とは何かを、常に考えてましたね。親は尊敬出来ませんでした。懸命には働いてましたが、いわゆる毒親でしたからね。人生の選択をする時には、常に介入してきて、行く手を阻みましたからね。私は幼い頃から、暴力により親には支配されてきたし、親の機嫌を損ねないように、感情を抑圧されて、育ちましたからね。とにかく特に父は、人の心には寄り添えない人でした。わがままで、思うようにならないと、すくに切れて、酷い時には、暴言とか暴力に及びました。依存心が強く、家族は自分の欲望を満たす道具くらいにしか考えていませんでしたね。すべて否定的から入るから、私はクリスチャンになる時にも、親には極秘裏で、洗礼を受けました。自分の人生の舵取りは、自分で行いたかった。親の名誉や満足だけのために、生きたくなかったんです。何をしても、感謝されたことはないですし、暴力を奮っても、謝罪されたことはありません。とにかく親のために、我慢を強いられたり、犠牲になった人生でしたからね。だから今でもそんな親に対する怒りや憎しみはあります。親不幸と思われようとも、人格を認められたことはなく、人権なんかなかったですからね。ただ親からの教えで大事にしてることは、働くことの尊さですね。とにかく仕事を大事にすることと、嘘をつかないことだけは、徹底的に厳しく仕込まれましたね。ただかなり歪んだ親子関係ではありました。親子逆転の状態でしたからね。死ぬまで父は、改心しなかったですから、好きなように、わがままに生きられた父は、幸せだったと思いますよ。全ては家族の犠牲の上のこと。だから私はそんな親に大事なものを奪われ続けましたから、それを取り戻すために、今は色々と試みております。