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しわあわせについて

ばうくんのしわあわせについてです。僕の個人的な解釈を述べたいと思います。皆さんの意見や解釈も聞きたいです。 簡潔に言うと、歌詞の中や繰り返し歌われる「重なる日々を僕たちは流るる日々も僕たちは思い出すこともなくなってしまうんだろう」というこの言葉に込められたものが、ばうくんが伝えたいメッセージの全てだと思います。今の良くも悪くも、世間の波にのまれている人々に向けてのメッセージと考えます。僕自身が昔のことを思い返した時に、小さい頃は一日中外で走り回ったり、友達と夕方のチャイムが鳴るまで遊んだ日々が当たり前だと思っていました。この時間がいつまでも続くようなそんな感じがして、その時はその瞬間のすごさ、尊さなどが分からなかったです。考えてもなかったです。今、思い返してみるとあんなに無邪気に楽しめたのはとても尊いことだと思います。もちろん、あれから少し大人になった僕自身の方が遊ぶコンテンツなど遊び方などは多いかもしれませんが、あの頃のように悩みなどを深くも考えずに生きていたことがどれだけ儚いことか。そして冒頭でも説明した、このしわあわせの歌詞の「重なる日々を僕たちは流るる日々も僕たちは思い出すこともなくなってしまうんだろう」というのは、あの頃の過ごした日々やこれから流れていく日々は年を重ねるにつれて段々思い出すこともなくなってしまうんだろう。という意味だと思います。また、ここでいう「思い出すこともなくなってしまうんだろう」というのは単に忘れるのではなく、頭のどこかにはその思い出があるけど忙しなく日々を過ごすことで思い出す暇もなくなってしまうということでこの儚さを表していると思います。しわあわせのMVにも書いてある、思いの数だけしわがあり、願いの数だけしわをあわせる。というのは、そんな時間には逆らえず前に進むしかできない僕たちだからこそ、今近くにいる人や大切な人と共に手を繋いで歩んでいこう。というのが僕が考えるしわあわせの解釈です。僕はvaundy君のことをこんなにも夢中で話せる人がいないので、ぜひ皆さんの意見や解釈も聞きたいです。長々と読んで頂きありがとうございました🙇