なぜ人は、自分と異なるものを“異なるまま”にしておけないのか

yjk☁️
言い換えるなら、それは自分の感情・価値観の衝動に引きずられて「距離感を自律的に調整できない」状態を指している。
本来であれば「自分と相手は違う存在」と認め、そのうえで「どこまで近づき、どこで一歩引くか」を判断できるはず。
しかし、多くの人はそれを上手に行えず、「同化」「支配」「排除」へ傾きやすい。
その原因は 「メタ認知の欠如 」にある。
内省によって、自分の感情を振り返ることは可能なのかもしれないが、自己を俯瞰して調整できず、その感情に飲まれたまま距離感を誤る。
つまり、「相手を変えたい」「自分の感情を優先したい」といった本能的・即時的な反応を、そのまま行動に移してしまう。
メタ認知には、「思考耐久力」や「多角的に掘り下げる習慣」が必須。
しかし、それがないと「俯瞰して調整する」以前に思考がストップしてしまう。
結果、「異なるものを異なるままに尊重する」余裕を持てず、「違いを排除 or 無理に合わせる」 という短絡的な行動に走りやすい。
また、教育・社会的背景として――
学校教育では「1つの正解を出す」ことが重視され、「異なる答えを尊重しつつ自分の立場を調整する」訓練はほとんど行われない。
というか、指導者自身もメタ認知的な訓練を受けていないため、教えられない。
結果、この力は制度的に育まれず、個人の経験や性質に丸投げされている。
人がお互いを尊重した上で、自律的に距離感を調節できるようになるためには、まずは自身の認知に疑いの目を向けて、自己の構造(思考と感情の枠組み)に問題提起することが第一歩である。
また、その問題提起を促すための機会が必要なのだと思う。
だから、この質問は非常に有意義やと思うで♪

魚屋ゆう
自分の事を否定できる人間は【異なるもの】も受け入れやすい気がする

ほしの
根っこがグラグラで本当の意味での自己が希薄だから、自分と他者の違いを認められず排除、攻撃しようとするのです
虐め嫌がらせなんてみんなこれ
ようは「中身の無い可哀想な奴」のやらかす罪なんですよね
🗑️ 😗

ちゃあ

らかん
1. ネガティブな動機(不快の回避)
一つは、異質なものを「不快」で「危険」と見なし、それを理解・予測した上で自分と同質化させ、安心できるものに変えたいという欲求です。
この欲求は、「報復殺人を肯定する人」という深刻なレベルから、「きのこの山派の友人をたけのこの里派にしたい」という些細な話まで、根底には「異質なものを放置できない」という共通の心理がありそうです。
2. ポジティブな動機(善意による同質化)
一番わかりやすそうなのは制服やペアルックでしょうか。
集団として、あるいは一対一の個人として、一緒になりたい、揃えたい(均質な方が美しいように思える)というさまざまなモチベーションが、”異なるまま”の状態にしておけず、良かれと思って「同質化したい」という心理が働きます。
”異なるまま”であることを認めることは、ネガティブな動機では自分に危険が及ぶことがあり、ポジティブな動機では時に痛みを伴います。
異なるものを同化しようとする心理は、動物としての人間の本能かもしれません。
この本能に抗い、他者を尊重するには、まず相手との適切な距離感が不可欠です。その上で、以下の能力が求められます。
* 客観的な観察力:相手を先入観なく把握する力。
* 客観的な自己認識力:自分の感情や行動を客観的に見る力。
無関心でなく、自分と異なるものを”異なるまま”にしておくには、自分の中の人間としての本能を冷静に見つめコントロールしようとする、かなり高度な克己心が求められる積極的な態度が必要になると言えます。
それに対して無関心は、”異なるまま”の他人を侵食しない、消極的な態度になるでしょう。

みっちー📸🥦
逆に自分が相手と同じじゃないと不安になるのも同じかな

たっくん

歪-Hizumi-
みんな誰しも自分の価値観が正しいって信じてる、そうじゃなかったら他人になんか言えないじゃんって思う。
人間らしくていいんじゃないの?って思う。
所詮、化けの皮ひっぺがしゃどれもなんつー事はないっていうかね。
物分かりがいいのなんて上っ面だけよw
所詮そんなもんって思えば然程の事なくない_(┐「ε:)_?
だからいうてしまえば世でいわれてる多様性()なんてただのおためごかしっつー訳、ただのごっこ遊びよ[ほっとする]

ねこ
いろんな人と何時間でも語り合いたい

ひま

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