謙虚とは、自分の能力や地位におごらず自分自身の長所と短所を客観的に理解し、「自分は完璧ではない」と知っていることから、他者への尊敬や学びの姿勢があることだと思います。自分の意見や能力を適切に伝えることができ、他者の指摘を受け止めて自分を変える姿勢がある。謙虚な人は自分を客観的に見ることができるので、他人の評価に一喜一憂したり、自分をことさらに大きく見せる必要がありません。また、必要以上に遜ることも謙虚ではありません。
私の辞書には、「謙遜」という文字はない。もちろん、人へのリスペクトも、感謝の気持ちもある。「とんでもないです〜」って言葉に違和感がある。“とんでもなことしてやった”が透けてみえるから。謙遜は、言葉で自分を小さく見せること。謙虚は、態度で自分を過信しないこと。でも私は、どちらも選ばなかった。選んだのは、誠実に生きること。謙虚さでは、飯は食えない。歯を食いしばって、結果を出して、勝ち取る。それは目立つし、出すぎるし、強いし、空気を跳ね返さないといけない場合もある。“がんばらない”が、私はできない。そんな私に「謙虚であれ」と言うのは、「わたし」の否定にさえ感じる。謙虚を見つめれば見つめるほど、辞書に載っているような「謙虚さ」と、私の生き方は遠くなる。でも、誠実には生きてきたつもりだ。不器用でも、曲げずに、真正面から。私は、誰よりも慎ましく生きていると思う。静かに、もっと骨のほうで。私は、「開かれた人間でありたい」とも思っている。でも、人の“答え”に安々とうなずくことはしない。哲学書も、ハウツーも、それが“自分で辿り着いた実感”を邪魔するなら、私は閉ざす。自分で考えたい。自分の頭で、心で、納得したい。そういう「閉じ方」も、私なりの「開き方」だと思っている。私は、謙虚じゃない。でも、きっと誠実。成し遂げた分だけ、生きてる実感がある。それを恥じる理由は、どこにもない。謙遜しない私が、目障り?目立つ私が、気に食わない?屈服させたい?そこに“謙虚”はあるんかい?(笑)