すきなことばは、「うんと」。それは、たくさんでも、とてもでもなくて。もっと奥のほうから、気持ちの芯まで使ったときにだけ、ぽとりと落ちてくる言葉。たとえば――谷川俊太郎さんの『スイミー』にある、「うんと かんがえた」という一文。海の底で、ひとりきりになった小さな魚が、こわさも悲しさもぜんぶ抱えながら、心をつかいきって出した、あのひとこと。わたしは、あの「うんと」に、ずっと惹かれている。言葉を選ぶとき、わたしはいつも思う。派手なことばよりも、内側で反響することばがいい。誰かに届くよりも、自分の奥深くに沈んで、静かに波紋をつくるようなものがすき。「うんと考えた」「うんと疲れた」「うんと楽しかった」それらに通じているのは、思索の重みと、感情の余白。どれも、意味を超えて「響きの温度」がある。まるく閉じる音が、感情を押し流さずに、そっと手元に残してくれる。「うんと」は、飛ばない言葉。刺さらず、とがらず、ふと頬に風が触れるように伝わる。罵倒にまぜても、やわらかい。「うんとバカだね」なんて言われたって、なぜか、とげとげしさがない。あんれまぁ、とかおやまぁ、とか。感情がひとまわりしてから出てくることばの、あのやわらかさ。そのやわらかさが、わたしには心地いい。きっと、ことばの呼吸が、自分の呼吸と似ているからだと思う。それは、湯呑みのぬくもりみたいで、体温が伝わる、ゆっくりとした時間。だから、わたしは「うんと」がすき。“一番”を選ぶのはむずかしかったけれど、うんと考えたすえに、やっぱりこのことばがいちばん綺麗だと答える😌
単語としては浮かびませんでした頭の中には古文が浮遊を始めています現代語に美しさを感じていない証なのでしょう四字熟語は「たった四文字の詩」美しいものが沢山ありますね質問の回答にはなりませんでした[照れる]失礼