タイタニックで、なぜroseはJackが死んだ後も幸せに暮らせたのでしょうか?

りんご飴
『Jack、あなたが助けてくれた命、私は精一杯
前向きに生きるわね!🥹☺️😃』かな?🥹☺️😃



いちま
彼を失ってしまうし、そんな中生きていても仕方ないと1度は手放そうとした命だったけど、直前に「君はこんなところで死ぬ人間じゃない。暖かいいベッドでたくさんの家族に見守られて老衰で死ぬんだ」みたいなこと言われたのを思い出し、必死に生きていくことを心に決める。
冒頭でたくさんの写真を持ち歩いているのも、実は作中で「ジャックと約束したやりたいこと」を実現した証拠写真だったり…
幸せになることでジャックに酬いたいと思ったローズの逞しさとても尊敬するんだよなあ

としゆき
絶世の美男子がヒロインのために死んで感度を与えたからこそroseの心の中に残り続けたのです
いちおう、タイタニックの問題点を幾つか挙げておきます
①キャルの存在そのものが完全にroseとJackの引き立て役で、キャルという一人の人物をお惣菜みたいに扱っている
②完全な庶民視点で富裕層の文化への理解が全くもってない
そのシーン例
a.フロイトの名前を出してあのヒゲおじさんを揶揄していたシーンはフロイトの精神分析をいたずらに持ち出して不当にヒゲを馬鹿にしている
それは学問に対する明らかな軽視に他ならない
b.ローズとジャックが酒場みたいな場所で楽しく踊って過ごすシーンは、本当に楽しむというのは人間的なものという勝手な主観を表現し、あまつさえそれを上記キャルに代表される上流への非難、批判の材料にしている
c.ローズが一度ジャックのもとを離れた後幼い貴族階級の少女を見て決意を変えるシーンは児童の生育環境はこうあるべしというこれまた勝手な考えを表現するものであり、なおかつその女子の運命には何も関与しない
つまりこれもキャルを利用する心理と同一である
d.さきのヒゲ、ローズの母に関してもその存在自体は登場人物という作品ならではの個性という観点では際立っていたが結局人間のあさましさのようなドラえもんポケモンワンピースと同じく陳腐な主張である
基本作品は主観を押し付けてはならず、あくまでも最後まで解釈は視聴者にゆだね、その衝動的な考察をもって視聴者に作者の思想へと誘導するのが本来の文学形式である(映画が仏では芸術と判断されている、またそうでなくても大衆消費としての映画と確固たるメッセージを兼ね備えた芸術映画とに境界があるのは明らかである)
非常に中途半端だがちょっと疲れたので最後にするが、
e.おばあちゃんローズよ、運命の大恋愛かしらんけど、あのネックレス海にポイ捨てしたらあかんよ、勝手なエゴで地球環境破壊すんのは感心しない

ㅤㅤㅤㅤㅤななみ

あーにー

みやみや

ゆゆ

comesunday

p

りく
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